1日漫画を読んでいた。今日は安田佳澄先生の「フールナイト」と売野機子先生の「MAMA」を読んだ。「フールナイト」を読んでいると、物語の低い彩度や緻密な書き込みと無機物の硬質さ、とにかく作品の持つ雰囲気が桜井画門先生の「亜人」を強く想起させた。
もしかして師弟関係などがあるのだろうかと調べてみたが、それらしい情報は得られなかった。ただ、インタビューなどを見ていたら、安田佳澄先生が男性であるということがわかった。名前でてっきり女性の方だと思っていたので、私は少し、ショックを受けた。そして、ショックを受けたことにもショックを受けた。
男女差別をなるべく、可能な限りしたくないと思う。人はみな人間という種族で、男女の差や、恋愛対象の差も、髪が生まれつきストレートか天パかとか、海派か山派かの違い等と同じようなものでしかないと思いたい。私自身ビアン寄りのバイだし、その辺はぐちゃぐちゃなので、男女差別はしたくないのだ。本当に。
なのに、「女性にしては硬派な物語を描くなぁ」と思ってしまったし、男性だとわかったら「なーんだ」と思ってしまった。どうしてなんだろう。荒川弘先生に対しては、男性だと思っていたのに女性だと知った時はむしろ凄い!と誇らしく思ったのに。
誇らしく?私は何が誇らしかったんだろう。荒川弘先生は当たり前なのだが知り合いではない。漫画の分野だけじゃない。女性が成功した、何かをなしとげたと聞くと、誇らしいような気持ちになる。みんな私とは何も関係ないのに。その人が頑張って、その人が讃えられているだけなのに、どうして同じ性別というだけで勝手に誇らしくなってしまうのだろう。
私と同い年の有名なスポーツ選手が2人いる。大谷翔平さんと羽生結弦さんだ。彼らが何らかの賞を取ったり、華々しい活躍をすると、何故か誇らしくなる。ただ同い年なだけなのに。私とはなんの接点もないのに。
横浜ベイスターズが勝つと嬉しい。私はずっと横浜に住んでいたわけじゃない。学生時代の殆どは川崎で過ごした。でも、地元愛だといって横浜ベイスターズを応援してしまう。
きっと、人のどこかに共通点を見いだすと、それだけでまるで同じ枠の中にいられるような錯覚を得るのだろう。イングループ・バイアスと言うらしい。
差別をしたくないと強く感じるのは、人間はなんとなくで生きていると、ナチュラルに、悪意なく差別をしてしまうものだと思っているからだ。
私自身ガチガチの偏差値差別主義者に育てられていた過去があり、そのころは本当に息をするように勉強のできない人間を見下していた。なんならクラスメイト達もみんなそうだったと思う。
今はそんなことはない……と思いたい……ともかく、その考えは間違っていたと思い改め、学歴云々で人を差別することはないように努めている。もちろん高い学歴の人に対してはあの受験と戦って勝ったのだなあ……という経験則的な尊敬はしてしまうが、そもそも人には人の数だけ尊敬できる所があると思うし、学歴は沢山ある中の一つに過ぎない。と考えるようにしている。
だから、「なーんだ、男か」とか「芸大かー」とかそういう感想を不意に抱いてしまった自分に気づくと、ウワアーッ!やっちまった!!いう気持ちになるのだが…………。これはもう、突然そう考えないようにできるものではないだろう……とも思うので、せめて、いちいち「ウワアーッ」と自省できるようにこれからも努めたい。継続は力なり。