Up to you! 「AでもBでも(私は)どっちでもいいですよ」と相手を尊重する言葉を口にした。相手の望まないことをするのは不本意だし、AでもBでもとくに私がイヤとか困るとか、そういうことはなかったから。
だけど、「それってきれいごとじゃない?」と相手に言われて、考え込んでしまった。無理をしているとか、嘘をついているつもりはなかったから。
「きれいごと」を言っているんだろうか? だとしたら、何のために?
自分の意思(本当はどちらを望んでいるのか)を表明しないことで、私は何を守ろうとしているんだろうか。
その答えは、相手ではなく自分の中にあると思った。表層を剥がすとうっすら血がにじむ。痛いし、怖い。見たくない。でも、もっと下に、もっと深く。
どんどん言葉が溢れてくる。私、こんなこと考えてたのか。思考が流れ去らないようにとiPhoneに書き留めたものは、記録なのか、相手へのメッセージなのか、ぐちゃぐちゃでよくわからない。強烈なカタルシス。
いい大人なのに、幼稚で、自己中心的で、恥ずかしくなる。
「表層剥がし」のきっかけは相手の一言だったけれど、潜っていったことで自分がこじらせているもの、欲しいもの、面倒だから受け入れてきたけど本当は望んでいないこと、うんざりしていることを自覚できた。
「きれいごとじゃない?」と言ってくれた人には私の思考のぐるぐるに付き合わせてしまった申し訳なさがあるけれど、私に対して一歩踏み込んでくれたこと、その人の領域の内側に入れてくれたことに感謝している。
相手が、もう私に関わるつもりがないなら、そんな面倒くさいことはしないだろう。耳障りのいい言葉で適当に流すんじゃなくて、ちゃんと私に向き合ってくれてうれしかった。私のためというよりその人のパーソナリティだと思うけれど、その言動に救われたのは事実だ。
「役に立たないと(自分には)価値がない」の呪いじゃなく、その人が困ったり、井戸の底でゴボゴボしそうになったりしたら、私にできることがあるなら何でもしたいと思う。もしSOSがあれば、駆けつける所存だ。
きれいごとじゃなく、そういう存在が(そんなに多くはなくていいけど)自分の周りにいるのは、幸福なことだと思っている。
「自立とは依存先を分散すること」っていうけど、ほんとそう。