正規ルートではない、というと語弊があるけれど、いくつかの偶然が重なって生まれるつながりがある。たとえば、SNSでのやりとりを経て「この人とはなんとなく合いそうだな」とか「ゆっくりお話ししてみたいな」とお互いが思って、それが成立する、といったように。
生まれたばかりのつながりはふわふわとしていて、あわい。
SNSのリプライからDMでのやりとり、DMでのやりとりからオンラインで会話をする、あるいは実際に対面する。そんなふうに、ふわふわとしたところから一歩を踏み出す行為は、綿花から一つまみの繊維を引っ張り出して紡いでいくようなイメージだ。
ちゃんと一本の糸になることもあれば、途中で切れることもある。そもそも、ごく細いつながりを手繰り寄せようと思わないことには始まらない。
昨日、京都である女性(会社経営者)に会った。昨年の終わりごろ、SNSを通じて単発で(ライティングの)仕事をさせていただいて、先日その報酬が振り込まれていたので、確認してお礼メールを送った。
そうしたら、継続的な仕事を依頼したいという相談をいただき、オンラインで打ち合わせをし、そのときの雑談の流れで「京都にお住まいなんですよね、実は再来週プライベートで京都に行くんですよ。もしよかったら、軽くお茶でもいかがでしょうか」ということになった。
丸太町のカフェでふたりで話をした。私は彼女が思い描く事業にわくわくしたし、ライターとして関わってみたいと思った。もっというと、「この人との間に生まれた細いつながりを手繰り寄せてみたい」と。
実際に会った彼女は私より一回り以上若くてかわいらしく、たおやかで、思い描く未来に向けて目をきらきらさせる人だった。フィロソフィーのある人だと思った。
私は自分自身に「成し遂げたいこと」があまりなくて、むしろ、したいことがある人を支える(神輿をかつぐ)ことに喜びを感じる。自ら光を放つ人の近くで、何かしらできることがあるのはうれしい。
くるくる回っている綿は、最初の一つまみがないと糸にならない。けれど、いったん撚られて糸になったら、綿にはない強さと長さが生まれる。