仲良しの友達(Aちゃん)がBちゃんのことを嫌っている。自分としてはBちゃんは嫌いじゃないけれど、Aちゃんの手前、なんとなくBちゃんと仲良くしにくい……。小学校高学年くらいからの「女子あるある」ではないだろうか。
さすがに、大人になってもうそんなことはしないし、基本的に自分の目で見て判断するようにしているけれど、好きな女友達が褒めている相手に対してはなんとなく好印象を持つし、その逆もしかりだ。
同じ生活圏でリアルに顔を合わせるわけでなく、SNSを通じてオンラインで形成されていく人間関係においては、とくにその傾向が顕著だと思う。
たとえば、こんなことがあった。SNSを見ていて、私が好ましく思っているライターCさんは、ライターDさんと頻繁にやりとりをしていて、とても仲が良いようだ。どちらもライターだし、きっと仕事面でもお互いに評価し合っているに違いない、と思った。
しかし、あるときCさんと話す機会があって、「Dさんといっしょに仕事したりするんですか?」と聞くと、「仕事面ではまったく関わっていない」という。どうやら、Cさんは(仕事的な意味で)Dさんとは考え方が違うようだった。でも、共通の趣味に関してはすごく気が合って、おしゃべりが弾むらしい。
その人を丸ごと「好き」でも「嫌い」でもなくていい。その人の仕事に対する姿勢は好きになれなくても、共通の趣味で盛り上がって楽しい時間を過ごせるケースもあるだろう。
CさんがDさんと仲が良さそうだからと言って(そしてどちらもライターだからといって)、仕事面での考え方も合うとは限らないのに、勝手にそう判断していた自分が少し恥ずかしくなった。「この部分ではこの人は好き」、「でもこの部分は考えが合わない」が共存する。
また、Cさんは、私の知り合いのEさんのことを苦手だといった。Cさんの話に登場するEさんは、私の知るEさんとまるで違う印象だった。でも人間は多面的だし、相手によって違う自分を見せるから、そういうこともあるだろう。
それを聞いても、私がEさんに対する対応を変えることはない。Cさんの言葉を疑っているわけではないし、Cさんがそう感じたのは“事実”だろう。
でも、「ふーん」とは思うけれど、苦手だと感じるポイントは人それぞれ。私のおせっかいな気質を、「差し出がましくて距離感が近すぎる」とマイナスに感じる人もいるだろうし、「親切で面倒見がいい」とプラスに感じる人もいるのと同じだ。
とりとめのない文章になってしまったけれど、グラデーションのものはグラデーションのまま受け止めればよくて、白黒つけようと(好ましい人と好ましくない人に分けようと)しないほうが有機的なつながりを楽しめる気がする。