今のインターネットに「凪」はあるのか

あやさわ@何かゲームする人
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公開:2023/11/16

リリースされたばかりのWebサービスで自分のアカウントを作成しているとき、僕は毎回不思議な高揚感を覚える。

レストランで、メニューを見て注文した料理が出てくるのを今か今かと待ちわびている時のような、あるいは映画館で、ポップコーンをひとくち摘まんで噛みしめながら、知らない映画の予告編を観ているときのような。

何か新しいことが――そして出来れば、良いことが始まればいい、そんな期待があるからかもしれない。

* * *

このWebサービスの名前は「しずかなインターネット」というらしい。

それを見たときに、失礼だとは思うけれど少し可笑しくなった。今の世の中、これほど短いセンテンスで矛盾を表現する言葉もそうそうないだろう、と感じたからだ。

とはいえ、Webの世界が静かだったころなんて、きっと昔から無かったはず。でもそれは、「活気がある」という文脈での話だ。

今は、正直言って、ちょっと喧し過ぎる。

以前の僕は、それぞれの人がオープンに自分の意見を交わすことができる世界が望ましいと思っていた。そうすれば、無益なすれ違いや悲惨な勘違いが起こることもない、少なくとも、今よりもずっと減るだろうと思っていた。

Webが、それを実現してくれるのだと、思っていた。

そして最近になり、どうもそれは間違っているらしいことに気が付いた。

「自分がやられて嫌な思いをすることを他人にするな」と誰かに諭されたことがある人もいるだろうけれど、この言葉を、僕は愚直に信じ過ぎていたようだ。

今のWebでは、仕様もない理由を見つけては誰かや何かを攻撃したり、みだりに比較したり、互いに見下しあったりする。しかもそうすることが、自分の利得になるように設計されていると感じる。

そして、皆それに進んで便乗しているようにも見えてしまう。

もちろん、それを好まないという人もたくさんいるだろう。けれども、そういう人たちほど、何も言わずその場から去って行ってしまうものだ。

俗な言い方だけれど、そうでない人たちの声ほど、うるさく、大きく聞こえる。

濾し取られた泥のように、嫌な、汚いところだけが目に付く。

現状Webという世界は、残念だけどそういう場所になってしまっている。見たくも聞きたくもないことが、びっくりするぐらい溢れていて、それがまさに津波のように迫ってくる。

本物の海であれば、いつか波は引いて、凪が訪れる。

でも今のWeb――インターネットに、そんなものはないんじゃないだろうか。

* * *

僕がこのサイトへのサインアップを済ませて、サービスの中をいろいろ見て回るうちに最初に気づいたのは、他のユーザーが書いた投稿を探して読む手段が皆無だということだ。

単に僕の手落ちかもしれないけれど、少なくともこの文章を書き始めるまでの間には見つけられなかった。

最近のSNSでよく見かける、運営側がキュレーションしたコンテンツだとか、アルゴリズムに基づいた個人へのおすすめ欄だとか、トレンド表示だとか、そういった“気の利いた”機能がない。

ユーザーや投稿の内容を検索することも出来ないのには、流石にちょっと驚いてしまった。

最近ではあるべきとされているものが、ここにはほとんどない。

そこで、僕は「しずかなインターネット」という名前に対して、はじめて腹落ちした気持ちになった。

ここでは、自分と目の前に表示されているエディタ、それだけが全てだ。だから、エディタに打ち込んでいる自分の文章以外に、向き合うものがない。

極端な話、書いた記事を公開する必要すらない。書き散らかすだけ書き散らして、その後それをそっと閉じ込めておいても、誰も文句を言わない。

このサービスの仕組み上、自分以外の誰か、“外側”の目や反応を気にすることも、ほとんどない。まあ、出来ないようになっている、という方がたぶん正しいんだろう。

もしかしたら誰も気に留めず、そして見られることもない。

――なるほど、これほど静寂な場所、今のWeb上で他にあるんだろうか?

* * *

この記事――というか散文を書き始めるためにエディタを開いたとき、タイトルと本文を打ち込むスペース以外、そこにはほぼ何も表示されていなかった。

あまりにも真っ白で、しずかすぎる光景だ。

それを見た何十秒か後、僕の指はひとりでに、ゆっくりと、キーボード上を滑り出した。

そんなこと、いったい何年ぶりのことだろう、と僕は思った。

@ayasawa_s
邦洋デジアナプラットフォームジャンル関係なくゲームが大好き過ぎるダメ人間。ゲーム好きな人は僕と握手。 Icon illustration by @torunico_kj