近況

同期の仲間と一緒に、3月まで通っていた学校を訪問してきた。自分たちが先輩方にしてもらっていたのと同じように現役生にお菓子の差し入れを買っていった。先生たちはあんまり変わってない、というかまあ3ヶ月でそんな変わんないよね、なんだけど、学生と教員という関係だったときと、一応同じ職業のひと同士になった今とで、間に流れる空気が違うというか、先生方がそのようにしてくれているのを感じた。事前に仕事について報告できていなかったのでその場で話して、励ましをいただいた。なんとかなる、らしい。

夜は仕事終わりの別の同期生も合流してくれて晩ごはんを食べた。最後の最後は、日帰りで遠くから来てくれた子を見送るために、品川駅で入場料を払って新幹線のホームで見えなくなるまで手を振るイベントを経験した。丸1日でかけたため、翌日と翌々日はほとんど寝た。すぐ眠くなる。

回復したので今度は別の同期の仲間の自宅にお泊りしにいった。たくさん声かけてもらえてありがたい。「あゆみんずっと臨床の話してるよ」ってにこにこしながら言われて、たしかに〜〜となった。次の仕事をどうしようか、どうして続けられなかったのか、毎日毎日考えている。自分が望む環境、描くキャリア、なんとか心身ともに頑張れそうなライン、3ヶ月の振り返り、職業人としての生存戦略、社会で暮らす人としての生存戦略、それから興味関心の在り処。いろいろ。仕事に行かなくなってもわたしは毎日発達障害とよばれるもの、主に自閉症のことを考えている。現時点で支援者の立場じゃないのに、まだセミナーなどにお金を払って申し込んでいる。

迷うなあ。迷うよ。この資格でもう1回は就業にトライしてみようと思っている。それにしてもこの資格というのが、あまりにも対象領域の幅が広すぎて、職場によってまるで仕事が違いすぎて、そこの方向性を考えるのにまだ時間がかかりそう。なぜ興味のある領域の仕事に就けたのに続けられなかったのか、原因は複合的で、そんな簡単に言い表せれるものじゃないんだけど、今後を考えるための判断材料として一番大きな要素になるのは「自分のことと切り離せなかったこと」。発達支援や二次障害を予防するような目的で働くなかで、それなりに当事者性を感じていた。なんとなく考えていたことの不明瞭な輪郭がどんどんはっきりとしていくようだった。客観的にどう見立てられるかは置いといて、少なくとも主観的には苦しいところが色々あって、そう、まだ苦しさの中にあることのほうがたぶん多くて、見つけられていないところ、納得できていないところ、統制できないところ、そんなのがいっぱいあるから情報処理が追いつかないまま、追いかけてくる仕事を真剣になんとかしようとしていたんだけど。だけど。

小児の臨床に未練あるねと友達に指摘されて、やっぱり興味ある分野でもう一度頑張ったほうがいいんじゃないかって思ったりもしたけど、渦のなかであっぷあっぷしながらグルグル回ってる段階にあるうちは、支援者側はちょっとまだやめておいたほうがいいかなと思っている。少なくとも、自分の持っている資格を標榜して働くのは、なんか自分も望んでないことかも?まだよくわからん。心理のひととわたしたちの違いについて考えている。

スイカの写真

友達の家での朝ごはんに、スイカを切ってと言われたんだけど、包丁を持ったところで「できない」と断った。2年間一緒に勉強してきた友達というのは本当に話がはやいので、「どんなでもいいんだよ」とニコニコしながら言ってくれたけど、やっぱり「できない」と断った。相手がどんな大きさ、形の、何切れくらいの切り分け方を求めているかわからないのが怖くてスイカを切れない。こんなに信頼している仲の良い相手でも、どんなふうに切っても絶対に認めてくれるひとだとわかっていても、ただスイカを切ることができない。っていうこんな状況についても興味深く議論してくれる友達で本当に最高なんですけど。仕事だと、「できない」って言えないなあと思った。だから言えるのって結構すごいことなんだよな。だけど、彼女ほどの相手だから言えることでもあり、彼女ほどの相手でもあっても失敗する恐れのほうが勝ってしまうというのが現実。スイカを切るということはわたしにとって自由度が高くて苦痛を感じる行為だったわけだけど、その一連の行動と思考のなかのどこにアプローチしていくべきなのか、今の年齢とか社会的立場とか予後予測とかまあいろいろ含めて考えていかなきゃいけないよね。今の自分にとって次の仕事すなわち生活環境探しを考えることはそのへんのことが直結しているよなあと思います。焦らずに考えなきゃ。

帰ってから同居人ともスイカの話をして、自分の前ならどうかと聞かれたので考えたけど、たぶんスイカ切れるなあと思った。たぶん、同居人と兄の前では切れるかもしれないなあ。恋愛感情とか正直あまりよくわからないんだけど(最近は恋人という呼称を少なくともわたしは使わくなりました)、やっぱり何かが特別なんだなあ。すごいなあ〜と他人事のように関心しながら感謝する。

専門学校での2年間はこれまでの自分が生きてきたこと全てを省みる課題や活動がたくさん盛り込まれたカリキュラムで、同期や先生と対話を重ねながら専門領域の勉強と併せて自分を知るための期間でもあった。今回のような仕事の終わらせ方は以前の自分であれば絶対にやらなかった。こんな迷惑がかかるような形で終わらすのは、身体と心がどんなことになったとしても防いでいたと思う。自分の気質・性格を多少なりとも予め開示して人と関わることも、特に仕事の場においては、今回が初めてのことだった。社会に適合しやすい形に自分をつくることは明らかにへたくそになった。だから自分にとっての「つらい」がわかりやすくなったし、生きづらいな〜と感じることができるようになったし、SOSができた。それでも自分が生きている社会は同じものなわけで、どうにかやっていく必要があるのは変わらなくて、2年半かけて変わってきたものが自分にとって良いのか悪いのか、どっちとも言い切れないなと思う。実際、心療内科では「今までの仕事や学校生活では問題なかったんですよね????」みたいな詰められ方をして怖かった。問題ない、トラブルがないっていうのは、どれくらいのこと?「はい」としか答えられない。学業を修めて、そこそこの年数働けてきたという実績になぜか苦しめられている気がする。わたしいつだってギリギリではあったけど、ずっと泣いてばっかだったけど、でもなんとかしてきたんです先生。不安なときに飲むように言われた頓服も、どれくらい不安になったら飲めばいいのかわからなくて結構困ってるよ。

またさらに別の同期にこのへんのことを話したときには、あなたみたいな常にギリギリのところを維持してるタイプは危ないから変わって良かったんだよという趣旨のことばを言ってもらえて、それはそうだなと思った。ありがたい。薬はとりあえず用法用量守ってれば機械的に飲んでもいいんじゃないかと助言してくれた。

今のわたしは今のわたしの生き方を考えていくしかないんだなー。友達が専門家だらけなのは資格をとった人間に与えられるご褒美なのかもしれない。専門学校の2年間って一生の宝物だと思いますね。わたしも役に立てるときがきたらいいなあ。