今日は2月に詰め込みすぎた用事のいくつかを、正直に「詰め込みすぎて体調を崩しそうなので」と言って3月に回していただいた。その連絡をしたら、なんだか疲れてしまって、一日中SNSを眺めてぼんやりしてしまった。まあ、今日は用事を入れずに休む日だったので、「ゆっくり休めた」ということでよしとしよう。
30日ぶん、3万6千字のブログ
さて、1ヶ月書くチャレンジ最終日の今日のテーマは「30日間書いてみて気づいたこと」だ。
自分はどんな記事を書いてきたんだっけ、と、ざっと記事を読み返してみた。執筆アプリによると、約36000字あるらしい。なかなかの文字数だ。
不本意なことに
読み返してみて思ったのは、「しんどいときの記事のほうが、感情が出ていて、自分としては味わい深い」ということだ。元気なときは頭をひねり倒して面白く書いているつもりなのに、半分働いていない頭で、布団の中で、スマホに打ち込んだものに負けるなんて、かなり不本意である。
ちなみに今日は少し元気のあるほうなので、きちんとPC机に向かって書いている。……ということは面白くないのか? まったくもって不本意である。
なんというかこう、しんどいときの私は、むき出しの感情をさらけ出している感じがするのだ。余所行きのオブラートをかける余裕がないからなのだが、それが逆に味になっている、気がする。いやでもやっぱり、元気があって理性が働いているときに、あそこまで皮をむくのは、なかなか難しい。だって恥ずかしいもん。
その恥ずかしさを乗り越えられるかが、名ブロガーへの分かれ道なのかも、しれない。わからないけど。
それはそれとして
まあ、でも、あくまで書いた私にとって味わい深いというだけだ。読んでいる人にとって、しんどいときの私の記事が面白いのかは、わからない。そこはちゃんとわきまえておかないといけないところだ。
しんどいとエンタメ的な思考は本当に働かないので、わきまえるのも難しいが……。バランスの問題なのだろう。
何度も挫折しそうになったけど
この1ヶ月、何度も記事を書きたくないと思った。もう諦めて明日にしようと思った日も少なくない。それでも、30日欠かさず書くことができた。これはちょっと、自信をもってもいい気がする。
そして、しんどいときの記事があとから見て、少なくとも自分にとっては味わい深いのを思うと、これからも書いていくことが、まわりまわって自分を救うのかもしれない、などと思ったりもする。
日記帳との違い
手書きが好きなので日記帳もつけているのだが、こちらは監視の目がないので、ついついさぼりがち。
一方、ブログという形をとると、反応が見えない環境でも、そこそこの抑止力が働いてちゃんと続けられた。案外、ブログが向いている性格をしているのかもしれない。新たな自己理解だ。
悩みどころがひとつ
ただ、これからブログを毎日続けることを考えると、ひとつ悩ましいことがある。それは、私の「インターネット上の公の名義」は「あゆみ」ではないことだ。
気楽に書きたかったので名義を分けたが、続けるのなら、公の自分と接続させたい。が、分けた名義を統一するのもなんか嫌だ。
……まあ、まだまだ始めたばかりなので、おいおい考えていくことにする。
私の1ヶ月書くチャレンジはここで終わりだが、もし出会ってくれた人がいたなら。もし私のことが好きになってくれたなら。続いていくこれからの記事も、読んでくれたら嬉しい。