時は金なり 金は時なり 本も時なり

あゆみ
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 今朝は8時過ぎに、わりとすっきり目が覚めた。何気なく見た占いに、「遠出をしてみて」と書いてあって、それも悪くないかなと思った。

 そこまではよかったのだが、今日は現実問題として、昼に予定があった。どう動いてどこに行って何をするか、悩んでいたらあっという間に1時間半が溶けた。悔しい……朝から本を読もうと思っていたのに……。溶けたぶんの時間で遠出もできたはずなのに……。

 結局、予定のある駅前で、初めて行くラーメン屋に挑戦したり、予定のあとあまり行かないヒトカラに入ったりと、「探検」のようなことはした。「遠出」ではないが、まあいつもと違う環境を味わうことはできたから、よしとしよう。

時は金なり

 無職の私は昨年末頃から、就労に向けて努力を始めている。すると最近、妙にアルバイト募集のチラシが目に入るようになった。母親になると町に子連れが増えるというのと同じ原理だろう。自分の関心のあるものは、自然と目に飛び込んでくるのだ。

 近ごろは人手不足だというし、求人は選り好みしなければ、ごろごろ転がっているようだと気付いた。なんだか少し、心が軽くなった。

アルバイトの時給

 アルバイトの募集には、たいてい時給が書いてある。最低賃金は私が学生の頃よりかなり上がって、私の住んでいる県では1,000円を超えている。驚きが隠せない。

 自分の労働を時間で区切って、賃金をもらう。この仕組みについて考えていたとき、「時は金なり」という言葉をぼんやり思い出した。

「時は金なり」

時間は大切なものであり、金銭と同等の価値がある。だから、時間をむだに費やしてはならない。

『ことわざを知る辞典』

 正確な意味はこっちだが、それほどに大事な時間を、売りに出してお金をいただいているのだと思えば、時給のことを「時は金なり」ととらえても、まあ大ハズレでもないだろう。たぶん。

自分の時間ハウマッチ

 世の中には仕事がたくさんありすぎて、混乱して主治医に泣きついたとき、「どのくらいの強度の仕事を何時間すればほしいだけ稼げるのか、考えてごらん」と言われた。仕事の強度に時給は比例する、と。

 短時間で稼ぎたいからと高時給な仕事を選ぶと、必要とされる強度に追いつけなくて潰れる。必要以上に低い時給の仕事を選ぶと、だらだら長く働くことになって、それもしんどい。

 自分の提供できる時間に、適切に、値段をつけることが重要なのだということを学んだ。

金は時なり

 今日は昼食にラーメンを食べた。半熟の煮卵の乗ったラーメンだ。脂少なめカスタマイズがわりとうまくハマって、最後までおいしく食べられた。

 値段は1,040円。スーパーのレジ打ちを小一時間すれば、そのお金でラーメンが一杯食べられるらしい。

1,040円の内訳

 しかし、ラーメンが1時間こっきりで作れるわけではない。スープや麺の下準備にはえらく時間がかかるし、そもそも、ラーメンをおいしく作るには料理人にも技術が必要だ。その訓練の時間も、ラーメンの価値に含まれている。

 私が用意できなかった、調理の時間。努力の時間。そういった時間を、お金を払って、おすそ分けしていただいているのだ。金は時なりという言葉遊びが浮かんだ。

 むしろ1,040円は安い気がしてきた。ありがたいことだ。

本も時なり

 ところで私は本を読むのが好きだ。

 色々な本を読みながらひしひしと思うのは、1,000円とかそこらでポンと売られているたくさんの本には、時給換算なんてとてもできないような、価値が秘められているということだ。

 本は、筆者の知識や、技術や、経験の塊だからだ。

26万分の1の時間で

 本は、レジ打ちを小一時間やったくらいのお金で手に入れられて、そこから数時間向き合うだけで、筆者が人生で数十年積み重ねたものを、整った形で取り込むことができる。

 よく考えたらすごいことではないだろうか。30歳の筆者の本を1時間で読んだら、筆者の経験した長さの262,800分の1でその知識を得たことになる。26万分の1……? 全然想像がつかない。なんだそれ……。

 本はタイムマシンかもしれない。いや、時間を圧縮する魔法陣だ。きっとそうに違いない。

時間をむだに費やしてはならない

 今日は朝に無為に時間を過ごしてしてしまったし、帰宅後もぼんやりSNSを眺めて時間を無駄にしてしまった。

 時は金なり。意識的に休むことが必要なときもあるが、何をするか決めかねて無為に過ごすのは、減らしたいと思った。