TRPG、テーブルトークロールプレイングゲーム、をご存知だろうか。ゲームマスターとプレイヤーが対話しながら進めるゲームで、さまざまなシナリオが世にあふれている。
その中の「カタシロ」というシナリオをプレイしたとき、ゲームマスターに「あなたは『大切な人』と言われて、友人を想像するんですね」と言われたことがある。たしかに、家族とか恋人(当時はいなかったが)を想像してもおかしくないのに、私は自然と友人を想像していたらしい。
今日のテーマ
1ヶ月書くチャレンジ16日目のテーマは、「あなたの1番大切な人」だ。前述のエピソードを思い出した私は、1番大切な人は友人の誰かだろうと思った。だがしかし、どうも話はそう単純なことではないようだ。
友人の中で特別なのは
私には、友人の中でも特別な感情を抱いている「親友」がいる。友人たちの間でも公認で、私と親友はニコイチ扱いだ。
Day9.の最後に登場した友人がこの親友で、頻繁に話すわけではないものの、たまに話すと落ち着くし、楽しい。
もう人生の半分以上を友人、親友として過ごしている彼女は、たしかに私の人生に欠かせない。だが、じゃあ彼女が1番大切な人かときかれると、即答でYESとは答えにくい。なぜだろう?
友人のような親子関係
そもそも、私はどうして「大切な人」として「友人」を想起したのか? それは、私にとっては両親もまた、友人のような関係性の人物だと思っているから、なのではないか。
親子関係は人生のステップが進むごとに変わっていくものだ。今の私と両親は、少し関係性の近い友人、くらいの距離感でいる……気がする。少なくとも、私の認識では、そうだ。
そう考えると、1番大切な友人、1番大切な人、というのは……。
亡くなったとき1番つらいのは
1番大切な人、というときに、私はそれは「亡くなったとき1番つらい相手」ではないかと思った。他の定義もあるかもしれないが、今回はこれでいこう。
母と語り合ってきたこと
私にとって、亡くなったとき1番つらい相手は、母だ。
母とは、昔から宗教とか政治とか、一般的に会話のネタにするのはタブーの内容を、たくさん語り合ってきた。それは親子だったからというのもあるし、価値観がわりと近い(私が母の影響を受けたからかもしれないが)というのもある。
友人たちの中にも、何人か交際した男性たちにも、母ほどあけすけになんでも話し合える仲になれた人はいなかった。このあとも現れないのではないか、と思っている。
失うことを想像すると……
そんな母がもし亡くなったら。話したいことをいくつも抱えて、空を見上げる日が増えるのだろうな、と思う。……ちょっと泣きそうだ。
私の1番大切な人、それは、なんでも語り合える母だ。せっかくここで思いを確認したのだし、少し恥ずかしいが、感謝の気持ちを伝えてみようと思う。