色々なことがありすぎてだいぶ間が空いてしまった。年始からこんなことになるとは。◆私は気を紛らわせることがとても下手だ。災害のニュースは欠かさずチェックして、ずっとスマホで情報収集をしている。そうしないと自分にとってストレスなのだと最近気がついた。耳を塞ぎたくなるような話に心を握りつぶされるが、分からないことを放置している方が怖いし、今の自分にできることはこれくらいしかない。「なにかをする」というより「余計なことをしない」ためにしていることなのかもしれない。◆3.11の時を思い出す。小学4年生だった私は友達と図書館にいた。謝恩会で6年生以外は給食後すぐに下校だったのだ。一旦家に帰って友人と待ち合わせ、図書館であの時を迎えた。かなり揺れたが、幸いなことにこども図書館だったので本棚の背が低く、平積みされていた雑誌が床に散らばった程度で済んだ。揺れが収まった後、取り乱している友人を励ましてとりあえず家に帰ることにした。友人は今日死ぬんだったらもっとオシャレをしてくるんだったと泣いていた。◆家に着いたら柱に見知らぬヒビが入っていた。古い木造なので仕方がない。2階は熱帯魚の水槽の水がかなりこぼれて廊下が水浸しだった。運悪く飛び出したグッピーが床で数匹跳ねていた。◆地元深川と災害と戦争の話。震度5強を体験するのは実は3.11が初めてではない。本所にある東京消防庁本所防災館で一通りの災害シミュレーターを体験していたので、3.11の時は(本物の揺れだ!)という印象が強く残っていた。シミュレーターの中では豪雨体験が一番怖かった。前を向くどころか呼吸すらままならない程の水圧だった。液状化現象をペットボトルの中で再現するワークショップなどもあった。阪神・淡路大震災の後、都民向けの防災学習施設として開館したらしい。3.11の前に行っておいて良かった。◆我が家のお墓は八柱霊園にある。都立だが、住所としては千葉の松戸だ。自分の家のお墓に辿り着くまで他の墓の前を歩くわけだが、ある日付を何度も見かける。墓標に彫られた、そのお墓に入っている人が亡くなった日付だ。ひとりの家もあれば、「〃」で括られるほど何人も亡くなっている家もある。3月9日の東京大空襲だ。◆関東大震災、東京大空襲でこの辺りは完全な焼け野原となった。神田に住んでいた曾祖母は上野の山へ命からがら逃げたとよく話していた。終戦後全てを作り直したので現在の碁盤の目のような道路になった。輪島で火災が起きているが、東京で同じことが起きたら壊滅するだろうな。人口密度が違いすぎる。◆話を戻す。3.11の時、本を1冊借りていたことを思い出した。白旗の少女だ。あまりよく覚えていないが、おそらく空襲の日に合わせて戦争のことを知ろうとしていたんだと思う。余震が続く中家で読み、怖くて泣いたことを覚えている。◆災害としては、水害が一番危険だ。なんたって海抜0mだ。荒川が氾濫したら高台とかではなく区外に出ろと言われている。地下神殿もあるけど荒川を全部しまえるわけではない。有事の際は何ヶ所かある水門を閉めて、都心に水が流れないように沈む地区だ。江東区の水害ハザードマップはほぼ意味を成していない。とにかく区外に出ないといけない。
2023.1.3