月を見ている。月が好き。だけどこうして月を眺めている事実に、月が存在している事実に、意味はあるのだろうか。
昼過ぎに目が覚めた。アラームのけたたましい呼び声にぐわんぐわんと揺さぶられるわけでもなく、自然にぱちりと目が開く瞬間ってなんて幸せなんだ。
軽くメイクを済ませ、注文していた本を受け取りに吉祥寺へ向かう。代金を支払い、新書のずっしりとした重さが手提げ鞄に加わると、一気に幸福感が加速する。以前から、この本を求めいくつかの書店を周っていたのだが、どこへ行っても在庫切れ。通販サイトで買うことも考えたが、書店に出向いて直接手触りを感じながら購入する、あの高揚感は何にも代えがたいと私は思っている。そんな幸福をいま持ち歩いているのだ。
浮ついた足取りで商店街を闊歩していると、これまたずっと探し求めていたものに出会う。「みてみて!がんばるっ あざらし隊」私がどっぷりハマっているあざらしのガチャガチャである。トレーニングをがんばるあざらしの姿が忠実に再現されたフィギュアだ。そのラインナップを紹介しよう『べー』『ぎゅっ』『きをつけ!』『ブーン』『ごろーん』なにこれ!!!!文字列がかわいい!!!そんなこんなで7回もまわしてしまった。結果的に『ごろーん』が3つ被ったのだが、大満足。ごろーんしているあざらしなんてなんぼあってもいいですからね。あざらしはごろーんするのが仕事なんやで、ってあざらし達も言ってます。
吉祥寺は洗練されたおしゃれタウン故、喫煙所が極端に少ない。だが、しょっちゅう通っている私は完璧に場所を把握している。いちばんのお気に入りは東急百貨店の屋上。広大な芝生の広場に、喫煙所、自動販売機、ベンチ、富士山が見える展望スポット。この世の嬉しいものが全部ある。ゴールド・ロジャーが置いてきた宝ってこれの事なのだろう。この世の全てって言ってたし、多分。のんびり一服して広場に出る。富士山と重なりながら夕日が沈んでいくのが見えた。橙色に染まった街全体がミニチュアのおもちゃみたいで、本当に人が暮らしているのか一瞬不安になる。先頭を光らせて休みなく走り続ける小さな電車だけが人々の生活を感じさせてくれた。
ベンチに腰掛け、先程購入した本をめくってみる。岸政彦さんの「断片的なものの社会学」という本。以前、同著者の「図書室」を読了し、他の著書も読んでみたいと思っている矢先、好きなウェブライターがこの本を紹介していた。
一言で表すなら、過ぎ去って行く日常の断片を切り取り、ただそれを見つめていくような本。この本には、いくつもの断片的なエピソードが載っている。意識していなければ、誰にも気づかれないままに過ぎ去っていくようなもの。著者の言葉を借りれば、「誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない」そういうエピソード達だ。誰の記憶にも残らなかったと言えば、それは無意味なものになるのかもしれない。けれど、そんな無意味なものが、世界には溢れていて、それは時間となり、誰かの人生となり、流れていっているのかもしれない。
風が冷たい。つい夢中になって読み進めてしまった。そろそろ帰ろうかと立ち上がると、頭上にまんまるの月が昇っていた。今日は1年で1番、月が遠く小さく見える日らしい。スノームーンっていうんだって。名前の由来を調べようとして、やめた。問いは問いのままに、無意味なものは無意味なままにしておくことの心地良さを私も知れるだろうか。そんな意味のない断片がこれを読んでくれた誰かの人生の1部になっていくこともあると信じてみようと思った。
ここまで読んでくれてありがとう。
今日も月が綺麗だね。