嫌いじゃなくて好きを語ろう!ってワンピースミームの影響?かは知らないけど、この文化が苦手。
好き=嫌い=好き みたいなもんだから結局は私の好きを認めないお前ら嫌い知らない!になる。しかも好き同士が大したコミュニケーションもせずに事前情報のみで繋がるだけなのは【話し合う】ことを軽視して【より暴力的なコストパフォーマンス】を重視し始めている気がしてならない。わかり合おうと促しているわりにやってることは異論は認めない論調だから議論はない。面倒なのは落ち着いた文章においても書いている側の感情が透けて見えることで感情論にならない議論をするのは現代人においては難題なんだろう。たまに三島由紀夫の動画を拝見すると話を遮らない胆力と場を和ませるユーモアに昨今の私を含む日本人全体の会話レベルの低下を思い知らされる。最高のコスパは死ぬことなんだけどね。
そんなことを淡々と考えていたらとあるVtuberが自身で開催する麻雀大会への不参加を表明していた。不参加理由は打牌批判らしく、麻雀やゲーム好きとしては指示厨がいなくなる世界線はもうないなと感じた。指示厨の可哀想なところは実力はあるんだろうけど自身に圧倒的人気がない現実を受け止めているからで毎回コメント欄で見かけるたびに『自枠とって窓して批判すればいいのに、そっか、閲覧少なくてメンタルに来ちゃうか残念』と。ある意味、閲覧数が実力になってしまった昨今において閲覧の少ない実力者は実力主義において弱者になってしまった歪さが生んだ悲しきモンスター。
でも彼ら彼女らに悪意はないと感じる。それは純粋に好きだからこそ熱が入って制御が効かなくなるだけ。だから冒頭の嫌いじゃなくて好きを語ろうに繋がるけど『公で語るな』なわけ、これは言論封鎖でもなんでもない。インターネットは自由に発言できる素晴らしさがあるけど使う側に覚悟のない悪意(垢消しして逃げる)もしくは不道徳、無知ゆえの失策があまりにも目立ちすぎて情報開示請求が止まらない。【人の不幸は蜜の味を楽しめるのは相当な覚悟と悪気を全く感じない精神を持った人】だけに許される甘美な遊びであって普通は【人の不幸は助けたい】と思えるのが健全なのになあと常々思っているからこそココ以外の伝えるSNSを辞めたんだろうなと自分を美化、正当化してみた。