SNSを断捨離してみて感じた。それは現代がいかに他人軸で動いているかだと。スマホを持つすべての人が何かしらを安易に発信できてから地獄が溢れたイメージ。本来、閉鎖的な世界で盛り上がるネタは性と暴が有力らしい。それがPCからスマホに移行した辺りから匿名性が消えて現実となんら変わらない世界がこの四角い機械に集約された。なにかあるとすぐに特定、開示請求が当たり前になるのは言葉の使い方への倫理観の無さが投影され、その窮屈さは現実と大差なくなりつつある。
どこかの学者が話していた言葉から読み取れたことを記す。
私たちはSNSにおいてあらゆる利便性とコミュニケーションを得たが同時に日本人が古来から持つ『静かさ』を失った。
これを理解したとき、自分が求めているものが『静かさ』だと気付く。様々なアプリを試した結果、どうしても静かになることがない。投稿しているのに静かさを求めるのはお門違いと思われるがそれこそリスナーや読者が他人軸に支配されているように感じられた。自分軸を最優先に意識していれば世界的統計よりも自分の感覚を優先し、尚且つ倫理的判断を促せるが最近の論調は世界的に見て日本はおかしいという正義感のぶつかりが酷く、政治の腐敗から生まれた愛国心の強要からも寛容さは微塵もない。つまり完璧な世界を構築したいのだろう。
加えて女性を優遇すべきの制作が取られて以降、日本は女尊男卑へまっしぐらで女性専用車両があるなら男性専用車両も作るのが平等だろうと毎回おもう。しかしこの感覚をSNSに投稿したならばたちまちフェミニストに捕まり吊し上げられる辺り、女性が女性であることが武器と理解している辺り頭が良すぎて厄介。これに関してはタレント?のフィフィさんがYoutubeにて言及していて本当に良かった。他人軸ならば世界的に見て日本の社会的男女比率はまだまだ低いとなるけど自分軸なら男性は人生に詰んだらママ活も女性用風俗もそれほど需要がなく自殺一択しかないから が一般的な思考か。みたいなことを静かに考える時間も取らずに脊髄反射的に文字を打ち込み投稿しては暴言を吐きあう現代に倫理観を求めるのはもはや酷な気もしている。
『喜』『楽』を増幅する装置にもなりうるSNSも一定数から過半数にのぼる『哀』『怒』が増幅する装置になった。なるべくここは『喜』と『楽』を書きたいけどまだ後遺症として『哀色』が残る。