地元に咲いた桜を眺めながら周りがキャーキャー言うのに違和感を覚え何も感じない辺り、まだまだ成長が足りないのか?はたまた老いて益々尖ったのか悩みながら精神的な坂を下る。
歩きなから桜が見切れた辺りでとあるゲーム配信者がゲーム内の犯人をサイコパスと叫んでいたのを思い出す。するとコメント欄は賑やかになり、それはサイコパス(注1)じゃない!と否定。ある者はソシオパス(注2)だよと見識ぶり、またある者はサイコパスをよく調べてから言うべきだ!と配信スタイルに注意してたが流石は配信者、全部無視してゲームを続けていた。
注1 精神病質(せいしんびょうしつ、英: psychopathy)またはサイコパシーとは、精神障害の一種であり、社会に適応することが難しい恒常的なパーソナリティ障害[1]。精神病(妄想・幻覚・乱雑な思考と発語・非現実的で奇妙な行動などの症状)[2]と健常との中間状態[3][注 1]。精神病質を「人格障害」(パーソナリティ障害)の同義語・類義語としている精神医学論文や日本語辞典もある wikipedia引用
注2 反社会性パーソナリティ障害(はんしゃかいせいパーソナリティしょうがい、英語: Antisocial Personality Disorder、ASPD)、もしくは非社会性パーソナリティ障害(ひしゃかいせいパーソナリティしょうがい、英語: Dissocial Personality Disorder、DPD)は、社会的規範や他者の権利・感情を軽視し、人に対して不誠実で、欺瞞に満ちた言動を行い、暴力を伴いやすい傾向があるパーソナリティ障害である wikipedia引用
つまりは桜は桜でなければならなくて、それはどう見ても桜なのに梅と言い張る面白さと『その間違いに大した価値はない』ことを許さない厳格な価値大優先の世界線が広がったことを改めて感じた。きっと一時期インフルエンサーによって広められた付加価値や無能たるレッテル貼りが語源がルーツか。
桜の下で騒ぐ子供たちはアレが桜だと認識もせず、花びらがピンク色の綺麗なモノくらいだろう。そう思うと桜を眺めながら何も感じない自分は本当に成長していない子供なんだなと寒そうに震える夜桜を眺めては『アレ梅ですよね!』と行き交う人ひとりひとりに説得したら警察に捕まる常識はあるわけで。正常な精神を胸に【覚悟のない発言を容易にできる環境はヤバいな】と物理的に坂を下る。
ついでながら先の配信者のゲーム内における犯人は多分エンパスまたはHSP(注3)と解釈している(エンパスがいない理論は全人類がエンパスの可能性を秘めているからエンパスという総称は無意味ということと認識)
こういうどうでもいいことを頭の片隅に置いておき、正論を相手に叩きつけて正しいことをしたと悦に浸るよりも見守り困っているときに手を差し伸べるだけで世界は優しくなる。なぜそれをエンパスと解釈したかは自分が多分エンパスだからでその殺人鬼の感情を否定できなかったからだろう。そりゃTwitter向いてないえ、怖い
注3 共感(きょうかん)、エンパシー(empathy)は、他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。もしくはその感情のこと。例えば友人がつらい表情をしている時、相手が「つらい思いをしているのだ」ということが分かるだけでなく、自分もつらい感情を持つのがこれである。通常は、人間に本能的に備わっているものである。しかし、例えば反社会性パーソナリティ障害やサイコパスの人物では、“共感の欠如”が、見られる[1]。近藤章久は深い共感と直観を精神治療の根幹とした wikipedia引用
ハイリー・センシティブ・パーソン(Highly Sensitive Person、HSP)とは、環境感受性(Environmental Sensitivity)あるいはその気質・性格的指標である感覚処理感受性(Sensory Processing Sensitivity)が極めて高い人たちを表す言葉である wikipedia引用