たまたまの話を書いていて、思い出したことがある。完熟金柑たまたまの味に私は感動したという話だ。
私がしずインをやっていく上で、感動という言葉を何度も使うだろう。私はそれを良いと思っているし、感動のバーゲンセールというレベルで使うかもしれない。
美味しいものを初めて食べた!こういうのも私は感動なんだと思う。
雑貨屋で可愛いアクセサリーを見つけた。そこれだって感動だと思う。
そんな風になんでもかんでも感動感動と言うのははたから見たら陳腐かもしれない。
でもいいの。世界が感動だらけな方がきっと楽しいと思うから!
感動はもっと大仰なものだと思っていたけど、大仰なものには怯えてしまうものでね、
どちらにしよ、感動はポジティブな言葉でいてほしい。だから、決めた。
私はこれから感動という言葉を軽く扱う。そのせいで感動という言葉が陳腐になったとしても、いや、陳腐だと思うような人物が出てきても、私は日々の小さな幸せなんかを感動と呼ぶ。
世界は感動で溢れている。
ただし、感動のほとんどは能動的に受け止めなければ感じられない程度のもの。私はこれから、小さな感動を能動的にキャッチしようと思う。探しにも行こうと思う。
私は陳腐でいい。能動的に感動できるんだから。ね。