Wikipediaが典拠で申し訳ないが、ニーチェはニヒリズムを「消極的・受動的ニヒリズム」、「積極的・能動的ニヒリズム」、「中心・無関心的ニヒリズム」に分類したらしい。そして、ニーチェ自身は積極的ニヒリズムを肯定し、「超人」になることを奨めた。
大学を卒業した頃、Wikipediaでこのニヒリズムのページを読んだのを覚えている。当時は、漠然とだが、積極的ニヒリズムを目指すべきだと思いつつも、自分は消極的ニヒリズムからは抜け出せないだろうと考えていた。
自分の浅い理解では、ニヒリズム(虚無主義)とは、人間存在に本質的な意味、目的、価値などは全く無いという思想であり、積極的ニヒリズムとは、自らや自らを取り巻く世界が無価値だということを受け入れながら、それでもなお善く生きるために、仮象(非実在の形象、イメージ)を生み出し、新しい価値を創造する生き方である。
自分は、全てのものが本質的には無価値だという考えに同意する。この世界は、定められた法則に従って運動する物質によって構成されており、人々が心や感情と呼ぶものも、当然ながら単なる電気信号に過ぎない。愛や悲しみや幸福や絶望も物理的な必然性の支配下にあり、何らかの現象に物語や感動を見出すのは、脳内物質の作用でしかない。
また、人間の意識は死によって完全な無に帰す。意識の消滅は、自分の世界の消滅も意味する。どれほどの名誉や権威や富を積み上げようとも、何かしらが後の世に継承されたとしても、それらは自らの死とともに全て消滅する。死という絶対的な断絶を前にすれば、あらゆるものが等しく無価値となる。
そんな無機質で無価値な世界を認識しながら、それでもなお、善く生きようと思えるだろうか。唯物論や決定論や独我論を頭の片隅に置きながら、それでもなお、自らの生には意味がある、価値があるなどと偽りながら、正気を保っていられるだろうか。
このような思考は、多くの人にとっては、中学生位の年齢で少し考えて、忘れ去ってしまうものなのかもしれない。あるいは、考えてもどうしようもないことだと一蹴して、現実を生きるのが大人なのかもしれない。
しかし、大人になり切れない自分は、この問題に躓き、取り憑かれてしまった。本当に全てのものが、無意味で無目的で無価値に見えていた。拠り所を見出すことができず、霧の中を手探りで進むような感覚に強い不安と恐怖を覚え、いつも死にたいと呟いていた。
それでも自分が生き続けられたのは、創作活動が楽しかったからだと思う。夢中で絵を描いているときは、一時ではあるが希死念慮を忘れることができた。ネット上に絵を投稿して、それが評価されれば、とても嬉しかった。同人誌即売会に参加するようになってからは、だんだんと知り合いも増えていき、趣味を共にする人達とのつながりに喜びを見出すことができた。いつの頃からか、創作は生き甲斐になっていた。
だから、体調を崩して創作活動が全くできなくなったとき、今までで最も強い希死念慮を覚えた。自分は貧乏で、障害者で、大して頭も良くなくて、恋人もいなくて、普通と言われている人達がもっている幸せを何一つ手にすることができなくて、だけど創作だけは楽しくて、ようやく自分にとっての特別な価値を見出せそうだったのに、それが失われるのなら生きている意味はないと、本気で思った。
しかし、それでもなお、死ぬのは怖かった。無価値な自分を鮮烈に意識しながら生きるのは、精神的にも肉体的にも辛くて、呼吸をするのでさえ苦しかったのに、死への本能的な恐怖からは逃れられなかった。
結局、わずかに残っていた理性が、自分を精神科の閉鎖病棟へと入院させ、なんとか絶望の底からは脱することはできた。入院までは、自暴自棄になり身を滅ぼすようなことも色々とした。ODもしたし、性風俗へも行った。それらは、わずかな救いを一瞬だけ与えてはくれたが、絶望を拭い去るものではなかった。ただ、我武者羅に足掻く中で恋人ができたのは、一縷の希望だった。
退院してからも、心は乱れがちで、頭もうまく動かず、創作することはできなかった。恋人にも、創作ができないストレスをぶつけてしまい、たいそう悲しませた。創作も恋愛もしたいと思いながら、心身が願望に追いつかず、どう生きるべきなのか全くわからなくなっていた。
恋人に「あなたにとって創作とは何なのか」と問われたとき、自分は生き甲斐だ、命を懸けて取り組みたいことだと答えた。すると、恋人はその考え方は極端過ぎると言った。自分は、あれこれと理屈を並べて反論した。恋人は、泣いた。
創作と恋人とを天秤に掛けて考えるのは、とても辛いことだった。本来ならば、それらは両方とも楽しさや喜びや幸せを見出せるものであるはずなのに、自分はなぜだか苦しんでいた。何かが間違っているのだけはわかっていたが、どうすればいいのかは全くわからなかった。
結局、自分はまた体調を崩してしまい、目標としていた即売会を諦めた。そして、恋人と話すのを楽しんだり、体調管理に努めたりして日々を過ごした。創作から離れると、重しが無くなったように心が楽になった。体調も、どんどん回復していった。向精神薬を飲む量も減った。自分の生が、良い方向に進んでいるのを感じた。
だけど、創作への渇望を忘れることはなかった。また、心のどこかで、創作をせずに生きることに対しる、空虚も感じていた。けれど、創作を以前と同じように再開すれば、また悪い場所に落ちていくのは明確だった。そこで、自分は創作への向き合い方を見直そうとした。自分にとって創作とは何なのかを、考え直した。
自分にとって、創作は生き甲斐であるはずだった。創作活動はとても楽しくて、大きな喜びが感じられるものであるはずだった。しかし、生き甲斐という言葉をはき違えた自分は、創作を極めることに生きる意味があり、苦しみはその代償だという考えで、自分をがんじがらめにしていった。その結果、心身はすり減り、鬱病は遷延化し、恋人を深く傷つけることになった。善き生からは、かけ離れていった。
落ち着いて自分を俯瞰してみると、視野や考え方が、ひどく狭くて拗れて頑なであることを認識することができた。自分は、自らの生きる意味は創作だけだと思い込んでいた。けれど、恋人は自分の創作以外の美点をたくさん教えてくれた。視野を少し広げれば、自分と仲良くしてくれる友人がいることや、微力ながら仕事で役に立てていることを思い出せた。自分が、多くの喜びや幸せを見逃していたことを理解した。
恋人と過ごすことは、何よりの喜びだった。愛し愛されるのは、何にも代え難い幸福だった。それは、創作から得られる幸福とは全く異なる、やわらかであたたかなものだった。自らの心身を切り刻みながら手にする創作の達成感と異なり、愛はただただ優しく、自分を癒してくれた。
自分は、世の中には様々な価値観や多種多様な幸福があることに気がつき、だんだんとそれを受け入れ始めた。視野が広がってくると、なんだか世界が美しく見えるような気がした。死にたいばかりだった自分の人生にも、何らかの価値があるのではないかと、少しずつ思えるようになった。
けれど、この美しさも価値も、喜びも楽しさも幸福も、ただの無機質な物理現象であり、自らの死とともに消滅する無意味なものであるという虚無を、心の底から拭い去ることはできなかった。美しく見えていた世界が、ふいに無彩色に変貌することもたびたびあった。
一度でも世界の全てが本質的には無価値だと認識してしまった人間は、それを忘れることはできない。恋人と愛し合っていたとしても、夢中で絵を描いていたとしても、虚無は常に隣にいて、それに何の意味があるのかとささやいてくる。お前の生に、何の価値があるのかとささやいてくる。
しかし、自分は虚無に抗いたかった。自分の頭の中の虚無感は、十数年で相当に肥大化していたが、それでもそんなものに負けたくなかった。全てが無価値で無意味であったとしても、それで生を諦めようとは、思わなくなっていた。たとえ死とともに消滅するとしても、今目の前にある幸福を決して手放したくないと、強く願った。
そして、今に至るまで自分は虚無について考え続けている。もちろん、このような、人によっては非常に根深く厄介な問題に対して、明確な解答、解法を見つけるには至っていない。ただ、小さな気づきを積み重ねることで、少しずつ虚無との付き合い方を理解しつつはあると思う。その気づきの一つが、創作というもの対する考え方の変化だった。
「自分にとって創作とは何なのか」という問いに対して、自分は生き甲斐だと答えていた。また、その生き甲斐という言葉の中には、創作による自己実現や自己主張、創作を通して人と関わる楽しさ、不安や嫉妬や怒りの昇華などが含まれていた。
様々な物事の見方や考え方が変化した後も、それらの思いは残っており、自分の中には創作に対する強烈な欲求が滾り続けていた。創作以外のことを楽しんでいても、漠然とした焦りや物足りなさを感じることがあった。それは、自分が創作を特別に好んでいることの証だった。最早、自分の人生から創作を切り離すことはできないと思った。
けれど、創作だけを生き甲斐にするのは、狭い生き方だということも理解していた。拠り所が少ないのは、心身を害するリスクが大きいということも実感していた。また、自分には創作以外にも様々な美点があり、世界には自分の知らない喜びや楽しみがたくさんあることにも気づきつつあった。
だから、創作だけに没頭し、健康や生活や恋人を犠牲にするようなことは、もうしたくなかった。しかし、そうは思いながらも、創作への欲求と不満を抑えることはできなかった。この矛盾を解決するためには、「自分にとって創作とは何なのか」という問いについて、さらに深く考える必要があった。
考察は途上だが、視野を広くして創作というものを俯瞰してみると、多くの気づきがあった。その一つが、積極的ニヒリズムにおける仮象を生み出す行為=創作という図式だった。平たく言えば、善く生きるために行われることは全て創作であり、極端に言えば、人生における営みの全てを創作と呼ぶことができると考えられた。
創作という字面から仮象の生成へと結びつけるのは、あまりにも安易だ。しかし、自分が創作を通して喜びや楽しみや自己肯定感を得てきたのは確かであり、その生き甲斐があったからこそ、自分がここまで生き長らえてこれたのも事実だった。他人からしたら無価値に見えるかもしれないが、自分にとって創作は、唯一無二の特別な価値があることだった。
また、自分は絵を描くときには、しばしば抱えている不安や嫉妬や怒りを込めていた。小説を書くときには、自身の精神の一部を切り離したかのようなキャラクターを作り、自分の思いを代弁させるようなこともあった。自分にとって創作は、自分はここにいる、自分はこんな人間であるという訴えかけであり、また、自分の存在の意味を定義する、ある種の自己実現でもあった。
そして、自分は創作をしている間は、希死念慮を忘れることができた。全てを無価値たらしめる死という絶対的な断絶を意識から棄却し、自分の理想を追求することができた。自分にとって創作は、死から離れ、少しでも善く生きるために必要なことだった。
特別な価値をもち、自己の意味を定義する、善く生きるために不可欠な創作は、まぎれもなく仮象を生み出す行為だと考えられた。自分は、絵や小説を創りながら、虚無に対抗するための新しい意味や目的や価値をも創り出していた。だからこそ、自分は創作を特別に好んでいるのだと思った。
そして、創作とは作品を生み出す行為だけでなく、仮象を創り出す全ての行為を指すのではないかとも考えた。自分にとっては、絵や小説を書くようないわゆる「創作活動」が、たまたま仮象の創出につながっていた。しかし、善く生きるために必要な事物は個人によって異なり、労働や信仰や名誉や愛などから、仮象を創出する人々もいるだろう。それらを創作と呼ぶことに、自分は違和感を覚えない。
自分の恋人は、誤解があるかもしれないが、愛によって仮象を生み出す人だ。そして、彼女に出会う前の自分は創作活動にしか生き甲斐を見い出せず、愛というものやそれに対する恋人の想いを理解できなかった。だから、恋人からの愛をうまく受け取ることができず、恋人と創作活動とを天秤に掛けるような、拙くて残酷な考え方をしてしまった。
しかし、恋人が辛抱強く、また深く深く愛してくれたおかげで、自分は少しずつ愛を理解していった。その過程で体調も回復し、わずかながら広い視野をもてるようになり、これまでに知ることのなかった代え難い幸福を得た。愛という、創作活動とは異なる生き甲斐を得た。善く生きるための、新たな仮象を創り出すことができた。本当に、恋人には感謝している。
今の自分は、穏やかに愛することも、緩やかに創作活動することもできる。不安や恐怖を斥け、希望を抱いている。希死念慮にとらわれることもなく、生きたいと願っている。このように思えることは、自分にとっては特別な価値のある何よりの幸福であり、虚無に抗い善く生きるための仮象であり、それを創出した愛を、真の創作の一つだと考える。
自分は、これからも創作を続けていく。仮象を創出し続けていく。それは絵かもしれないし、小説かもしれない。さらなる愛かもしれない。未来へと続く道程にある全てが、創作になり得るだろう。善く生きるために行われることの全てが、真の創作足り得るだろう。だからこそ、「自分にとって創作とは何なのか」という問いに対して、今の自分は、創作とは人生だと答えることができる。