母にとって、わたしは常に未知の存在だった。
他者に興味がなく、素敵なものに心惹かれず、赤子の時分からずっと眉をひそめて生きている。母にとって理解の範疇にない子どもは、「それがこの子なんだ」と否定されずに育まれた。
「普通の子どもみたいに」と矯正されずに、でも「普通の子どもみたいに」する方法を教えられながら大きくなった。今のわたしには分かる。わたしを育てるというのは、容易く出来ることではない。
子の特性について、情報の氾濫する今の世に生まれていれば、母はもっと気楽だったろう。血族の誰にも似ないわたしの一挙手一投足が母を追い詰める。わたしは、わたしが理解されないことを理解しないし、母を理解しようとも思っていなかった。母の愛というものは、実在のない器に虚しく注がれているように見えたはずだ。
注がれるものはたくさんあったが、振り返ってありがたいと思うのはパーソナリティーの言語化だ。母は「他者を傷付けてはいけない」ことと同じように、「あなたは本を読むのが好きだね」と教え込んだ。これが正しいことなのかは分からない。でも、わたしが人間らしく行動するために必要なことだったと思う。母のこの教えによって、わたしは「人間らしいわたし」というものを構成できるようになったからだ。
母に刷り込まれたもののうち、オカルティックな項目が一つある。
「あなたが楽しみにすると天気が崩れる」
はじめてがいつの頃か覚えていないが、少なくとも十余年は言われ続けている。俗に言う雨男/雨女だとは思うが、曖昧な言説でなく何らかの確信を持って、母はわたしに「今回も天気が崩れたね」と伝えてくる。これは天気が崩れたことをわたしに起因させたいのではなく、わたしがその日を(そのイベントを)楽しみにしていたと知りたいからだ。
母には、わたしの喜怒哀楽を知る術がない。わたしはそれを出力する必要がないし、母が知りたがっているとも思っていない。自分が抱く感情に、そもそも気付いていないことすらある。
過去のどこかで、わたしが明確に楽しみにしていること(もしくは、一般的に心待ちにするような事柄)がある日に天気が悪くなったことがあるのだろう。母は小さな偶然を拾ってまで、理解し得ないわたしとの対話を望んでいた。そのことが今、ようやく、嬉しくてたまらない。
雨乞いするように、わたしとの相互理解を祈り続ける母をわたしは否定しない。わたしをそう育ててたのは、他でもない母だから。