すべてに共感もし、すべてを拒絶している。生き残ってやる、という気持ちもあるし、いっそのことおしまいにするか、という気持ちもある。聞き分けよくいたいような気も、目につくもの片っ端から薙ぎ倒して破壊したいような気もする。自分のなかですべてが散り散りになって、それらを寄せ集めてこねてもう一度形にするだけの余力がない。届かなかった、そんな傲慢な無力感に引きずられているのだ。じゃあ、その無力感に耽溺しているけれども、それに見合うくらい日々考えて考えた結果の手を打ったのか、と囁く悪魔も傍らにいる。そんなの、日常の中でどれほどのことができるのか。退ける天使すら、不貞腐れてごろ寝している。こんなのおかしい、って声をあげ続けることはしんどい。無視されるからだ。いないことにされるからだ。「お前らなんか居ない」と名指しで言われるからだ。そしてじきに、本当に”居ないことにされる”。居ないことにされたモノがたった一人で自らおしまいになったとしても、”居ないことにした奴ら”にとってはそんなこと屁でもないだろうしむしろ喜ばれるだけだからそれはしないだけで、もうずっと前から疲れきっている。選挙が全てではないことはわかっている。少数者の声は届かないことはわかっている。政治はこれからも続いていくことはわかっている。日常が続いていくこともわかっている。憂うな、ということもわかっている。わかっている。だから、拒んでいる。