わたしは決して”いい人”ではないので、好ましくない人が評価されているとクソがと思うし、酷評されているとヨシ!と思う。なんとなく好かん、という言語化されづらい直感的なこともあるが、明確にこれはいかんでしょうという事象がいくつかあり、その人のことを”好ましくない”フォルダに入れた。今これはわたしの内心をすこおし開いて書いていることなので、そんなことは書くなみたいな野暮なことは言わないでほしい。数日前に「当事者ではない人間もその事柄を書いていいのでは」といった内容を書いた。しかし正確には、そこには注釈で「当事者を踏みつけない形で」がつけたされる。当事者の苦しみを希釈することなく、すり替えることなく、かつ嫌味なく書ききることは生半可なことではない。だからわたしは『かぐや姫の物語』が好きで、そしてもう二度と観たくないと思っている。あれは、受けとめるのに、あまりにもエネルギーがいる。そういう作品がこの世にある一方で、なんだよこれ、みたいなものもあるのも事実だ。もちろん、その「なんだよこれ」創作の作り手端くれに自分もいるのだが、だからこそ、気をつけたいし目指すべき頂があるわけだ。なのに、それをしれっと踏んで自分こそ、みたいな顔をする人がいる。は? まずその足をどけろ、といつも思っている。踏まれているわけじゃないが、まずはどけろ、どけてから書けよ。なのでほんっとうに好ましくない。ほんっとうに。なので今日はヨシ、と思った。嫉妬か、と言われると、半分そうで半分ちがう。どちらかというと反面教師だ。ああはなるまい。あんな面は晒すまい。