文字を読むことに精読というものがあるなら、音を聴くことにも精聴ってものがある気がする。ラジオを聴いていても音楽を聴いていても、その単語ひとつひとつや音程が迫るように自分に向かってきてそれを追うことに必死になり始めてきたら、それはもうお粥プレイリストのタイミングで、それも受け付けなくなったら音デトックスしかない。loop大先生(耳栓のほう)には生活音から近所の車の音まで防いでもらって感謝しかない足向けて寝れません。いや本当はスマホを封じてデジタルもデトックスした方がいいに違いないけど文章は読めなくなっても文字が目に入らないことの方がしんどいのでそれはできない。あらゆるものは段階的に進める必要があるんですよ、マジで。いきなり減らすと反動がきつくなって結果元通りになるんだっておれはもうまじで知りまくってんですよ。LIFE is 難儀 I know。そもそもラジオや音楽を積極的に聴くようになったのは運転時間が多くなったからで、運転中は文字を追えないので(?)代わりにラジオで耳から入る言葉を追うことにして凌いでいるのであって、その結果こうなっているので、うーんなんか不毛な気分になってきた。そんで、どこが卵で鶏なのかわからないけど、なんかもうつかれちゃった気分にもなってきて、いま心の頼りにしているところに寄りかかりすぎていることも自覚していて、そこが折れたら倒れることもわかっているので、あんまり寄りかからないようにしたいと思っている。思っているだけで、なかなかうまくいっているとはいえない。依存先はたくさん作っておきたいが、自分にとって安全な依存を見つけるのも結構難しいんだよな。結局、ほどほどができないから依存するんでしょうが、って耳栓してんだから笑える。今日の教訓は、人の話を奪わない・話を被せない・ありがとうを忘れない、の三本です。また明日。