気づけばもう二十日すぎてて草。草ではない。急かされて書くものでもないし、かといって日記といいながら日記の様相を呈していないこの怪文書は、特になんの役にも立っていないし誰の得にもならないだろうが、なんとなくここに文字を走らせると心落ち着く、というだけのものである。日々の出来事は過ぎていく。しかし受け取った感情や心は内に留まる。うまいひとはうまく捨てて流していくんだろう。わたしはまだ数年前の失態を臨場感たっぷりにしがんでは夜半にのたうち回ったりしている。寝て。そう、ふと私は自分のことを「かわいそう」だと思っているのかもしれないとふと気づいて、オエーとなったりしていた。この想起には二つの結論がくっついてきていて、他人にはおおよそ投げかけないような「かわいそう」なる憐憫を自分には容赦なく叩きつけてしまうことはよくないしそうやって自分いじめだけして満足している自分こそ脱するべきだというものと、まあたしかに不遇だったり属性故に苦労したり当たり屋みたいな絡まれ方もしたりしたよなというものである。今、オエーは引っ込んで、内訳をすっと解きほぐせたのでいいとしよう。かつてならここで「わたしは正しくない! ウギャー」となっていたが、正しさもなんもおれはおれでしかあれないのだ、というところが最近腑に落ちて、おれはおれだけどおれは変わっていけるしな、と思っている。人は変われる。特になんの教えでもないが、善の方向を目指せば、そちらに変わっていけるのだよね。