人には人の乳酸菌がるように人には人のルールがある。なんかすごそうだけど無理矢理肩の力を抜いていることをパフォーマンスしているエッセイみたいな書き出しだ。悪口? あまりにもいずいが進める。家族で暮らしていると家族のルールが発生するし、学校には学校の、職場には職場の、そして自分だけでもルールが発生するから不思議だ。ひとは一人であっても自分という他者と生活しているのかもしれない。自分を通じて他者を見るからだろうか? そこらへんの鶏卵後先問題はさておき、そのルールは気づかないうちにある。私は「映画は最後まで一気に観なくてはならない」だとか「本は最初から最後まで一字たりとこぼさずに読まなければならない」という無意識のルールに長年苦しんでおり、それに従っているのはどうやら自分一人であっても、それを覆す勇気はこれまでなかった。そのルールを自らにインストールしたタイミングはなんとなく思い当たるが、環境が変わっても課されるものが変わってもそのままずるずる同じルールのまま生活しているとまあ、結構つらいものがある。ということに最近気づいて、映画もドラマもぶつぶつ止めるし、なんか頭に入らない本は流し読みもするし途中でやめるようになった。ありがたがりすぎていたのだ。いや、もちろん大切には思っているし、踏んだり敷いたりはもちろんしないけれど、適度に身近に引き寄せて生活を共に過ごす方がいいな、と思ったのだった。寝食を忘れて、というのは神話的美談で、まあそういった衝動を発揮したことがわたしのなかにもあるし、そうなっていた時が恋しくもあるけど、その後にはちゃんと腰痛だとか頭痛だとかでぶっ倒れ、結局かかった日数はトントンになるんだよ。だから結局ちゃんと飯食って寝て動いた方がいい。ちゃんと寝てよく噛んで食って、冷笑を捨てていきりを卒業して、それはそうとやっていく。