とんでもなくゴタゴタし、それでもなんとかなったのだが、その過程を経たことによって古の価値観(女性は男性に守られていればいい、女性権利を主張する人たちは大袈裟、というようなもの)をお持ちの人物が「こんなことされるなんて、女性たちはたまったもんじゃないね。ウーマンリブが必要な理由が少しわかった」と言うに至っており、そいつはよかったですと思うなどとしていた。そうです、たまったもんじゃない。ほんとうにこの列島の価値観はおそろしいほどにまだまだで(女性天皇でいいだろ、というか天皇に人権を認めろ)、一歩ずつ進んでいるところもあれば何歩後退するんだとげんなりすることもあって、そしてそれは法律の場面で、司法の場面で、都市の場面で、そして地方の場面でそれぞれに違う顔を見せている。こと地方の場面に限って言えば、なんということだと思うことの方が多い。あんまりこういう言い方をしたくはないが、ほんとうに、女には人権がないと思われている、と感じることは多い。女の声は存在しない。有力者にすり寄らなければならない。男のルールに則っている女として存在しなければ席は与えられない。フェミニズムなんて口にしてはいけない。女は自立なんかしない。男の機嫌を伺わなければならない。わたしが。どんな人物であるかというまえに、女として迎えられる。それが、この場所の現実だ。もっと下品に言うならば、女とは、穴がある存在であって、子どもを産むだけの存在なのだ。悲しみや怒りはもうない。だからなんだ、という気持ちでいる。とはいえ、その場に応じてこちらも対応せねばならんだろう。そんなことをせずに道を歩けるようになってほしいよ。そんなことをせずに集団に参加できるようになってほしいよ。そんなことをせずに会話ができるようになってほしいよ。でも、現実がそこまで追いついていないからそうしなければいけない、このジレンマこそが最もつらい。どんな差別的な発言を浴びせられてももう驚かないようになってしまった。笑いながら、「へえ~冗談きついです、いま令和ですよ」と言えるようになってしまった。よしあしではないが、やはりよくはないだろう。それでも、フェミニズムの先達曰く「一人一殺(身近な一人(特にパートナーである夫や男性)の意識を変えさせ、家庭内の不平等を一つずつ解消していくこと、の意)」に則れば、わたしはまずは半分か三分の一くらいは葬れたのではないか。悪しき家父長制と、それに伴う女性蔑視を。あーあ、男性よ、女性を殺すな。たったそれだけの簡単な話でしょうに。