2025年10月8日

ba9co8
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公開:2025/10/8

ひとたび舗装された道からおりれば、そこには異なる言語が流れている。草木も虫も、あらゆる獣も石も水もそのことばで話をしていて、すべて了解しあって事が進んでいる。舗装された道、決まった時間で変わる信号、都合で引かれた地図上の線の上で過ごしているとその声はきこえない、というか、わからない。そこに踏み入れて、ああそうだったそうだった、ここにはここの言語があるんだったと慌てて思い出して、それでもまだ翻訳を必要としていて、結局は部外者のまま、また舗装された道に戻ることになる。こちらの言語であちらを判断してはいけない。既に観測されつくして判明されたと思っていても、それは結局こちらの言語であってそこにある真ではない。把握しきれないし、理解しきれない。それでもふとその境界が溶けて触れることがある。どこが、どのように、触れているのかもわからない。でも、どうか応答してほしい、と祈るように抱えている、そこの底で、産毛をゆらすように”それ”は触れていく。そこの感触に、わたしはあちらのコトバを想う。言葉という枠に押し入れることなく、ただ想う。それしか許されていないのだ。ここに在ることを許され、許している、そのことだけを、想うことにしている。