Learning to be

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公開:2024/6/2

9周年に際しSEVENTEENが寄付をしたユネスコが提唱する学習の意義を表す言葉に「Learning to be」というものがある。

「Learning to have」との対比で用いられていて、学歴や地位、金銭的な財産などを「持つ(have)」ために学ぶのではなく、人間として存在する(be)ために学ぶという考え方だ。

私は長らく「Learning to have」に呑み込まれながら、それに反発して「Learning to be」こそ学習の意義だという考えを強固にしてきた。実際その通りだという考えはずっと変わらないし、特に教え育む立場としての教育者や学習機関は「Learning to be」を念頭に掲げているべきだと思う。

「to have」の観点で言えば、きっと10学んで1得られれば上々で、「to be」なら10学べば10が私をつくるのだからその方が豊かなのは明らかだ。

ただ、今の私の「to be」はすごく独占的な学びだなあと思う瞬間もある。自分の学びたいことを学んで、自分のために使って、役に立たなくていい、役になんか立てたくないとすら思いながら、やっている。

悪いことじゃない。いい生き方じゃないかと思う。でも、いつかどこかでは社会に還元する道を見つけるべきだよなあと思う。

今のところ、学びというのはとても特権的だ。特に私は親の金で大学まで行かせてもらって(その過程は苦しかったけれど一旦学ぶ環境として)、一応安定した会社に入り、自分のために使う時間もある。首都圏ではないといえ大型の書店や通信環境にも恵まれ、自分の気持ち次第で学びに手を伸ばせる。そういう一つ一つのハードルが低い方なのだ。きっと。私は私の人生しか生きていないから比べられないけれど。

恵まれているという自覚がある。自分の努力で手に入れたものもあるにせよ、努力すれば手に入ったという時点で恵まれていたのだ。

恵まれていることを罪のように思う必要はないけれど、とりあえず、「Learning to」のその先を、考えるターンに入っている。

何かのために学ぶのが嫌いだったけれど、何かのために学んだっていいじゃないかと思い始めた。

それも全て、私が私であるためなのだろうけれど。