約2年前に書いた「セクシャリティについて」のメモ

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私の性自認は女で、社会的にどう見られたいかという性も女で、恋愛対象も性行為したい相手も男。セクシャリティ的には生きづらくはないなあと思う。

私は今のところ自分のセクシャリティで苦しんだことがない…と思っている。

けれどちょっとだけ掘り下げて考えてみる。

ここでいう「恋愛対象」は恋愛的なドキドキを味わえる対象のことだ。いわゆる生物学的な男性のもつ体の大きさや骨張った感じがとても好きなのだと思う。動物的な本能として、男性が好きなんだろうなと認識している。

一方で、そもそも性行為そのものはあまり好きではない。欲求がないわけではないし、欲求の向く先は間違いなく男性だけれど、私はただ抱きしめてもらえればそれで十分なのだ。肉体と心をもし切り分けることができたとするならば、私は性行為をしないだろうなと思う。

そしてここでいう「恋愛」は結婚とは完全に区別している。結婚については1人と1人が共に生きていくものだと捉えていて、男女関係なく今の私には考えられないことだ。

また、私は生理が来ない。薬を飲まなければ生理が起こらない。これは私の男性ホルモンが平均の倍程度あることが要因になっているらしい。身体の性自認も性的指向も女なのに、これじゃ辻褄が合わないじゃないか。薬に頼らなきゃ女としての機能も果たせない身体なのに、自分が生物学的に女だと揺るがぬ確信があるのも変な話だな。

続いて文化的な性の話

私はスカートしか履かない。スカートが好きで、履いている。これも事実だけれど、私がスカート「しか」履かないのは、スカートしか「履けない」と言うのが正しい。端的に言って、私はファッションで想定される一般的な体型よりもだいぶふくよかである。ズボンは入らないものがほとんどだし、入ってもかなり見栄えが悪い。それを押してまでズボンを履きたいとは思わないので、私はスカートしか履かない。とはいえ「女の子らしい」服装も好きだし可愛い格好をして可愛いと思われたい気持ちもしっかりある。けれど自分がどんな服でもそれなりに着こなせる体型だったなら、何を選んで着ていたんだろうなとは思う。

メイクが好きだ。けれど参考にするのは男性のメイクが多い。韓国の男性アイドルがするメイクと、グラムメイクが好き。多分これは「装い」が好きだからだと思う。

女であることによって、メイクをすることに社会的な違和感がなくてラッキーだなと思うことはあっても、“女だから”メイクをしなきゃいけないと思ってメイクをしたことはない。自分の顔を塗り替える行為、日常の中の小さなハレを作ること、外の世界に出るためにイニシエーション的に手間をかけること…そういうものが好きなのだ。

次に社会的な性のはなしあらゆる手続きにおいて性別を選ぶときには何の躊躇いもなく「女」に丸をつける。私は対外的に電話応対が殆どの仕事をしているので、「若い女」というだけで舐められることはたくさんあるし、男尊女卑のビジネスパートナーや客に当たることもしばしばある。ただ、私はそういうラベルに依存した舐められ方はあまり癪に触らない。傾向として、男尊女卑の考え方をもち、かつそれを表に出せてしまう人は交渉上難ありな人が多い。向こうから「女とは話さない」と言ってくれるならむしろラッキーだなと思う。近くにいる人(社内の人など)が比較的まともなので私は自分が女だからという理由で私の中の何かを損ねられたことはないし、むしろ有利にことが進む方が多かったように思う。けれど、これはたまたまそうだっただけでただのラッキーなんだろうな。

さらに、私の思考過程のはなし。本当に感覚的な話になってしまうけれど、私の思考回路は少し男性的な部分があると思う。これに関してはまだ私は自分の納得いく形で言語化する術を持っていないので保留。

ただ、土門拳にせよホシくんにせよ私がひととして、「こうなりたい」と思うのは男性であって、さらにその“男性的”な部分に憧れている自覚もある。少なくとも私がホシくんをカッコいいと思う時、異性として認識していない。「私が」「なりたい」カッコよさを彼が持っているのだ。もし仮に肉体の性別がなかったとするならばどんな生き方を選んでいたか…

と考えてみたけれど肉体の性別は私の人生や環境に深く根を張っているので前提が成り立たないな。

とはいえやはり、自分の体が女であることも、社会的に女として眼差されることも耐え難い違和感がなく、私はこの先もなんの注釈も付けず女として生きていくことで差し支えないのだろう。

差し支えないけれど、ジェンダーやセクシャリティについて考える時にこういうレイヤーを分解していく過程は疎かにしないほうがいいんじゃないかとも思う。

その手の議論において私がずっと感じてきた気持ち悪さは、各レイヤーの中身が行ったり来たりしたり、いっしょくたにされてしまうことによるものだと思う。

大事な話だからこそ、なるべく丁寧に前提を共有したい。議論の参加者の持つエネルギーに本題が押し流されていくのは勿体ない。

とはいえ私が上記でずっと使っている「男」と「女」も生物学的な部分以外は全て概念上の曖昧なものだし、全てはグラデーションで、便宜的なラベリングなのだ。

女っぽい、男っぽいというのは雲をつかむような話で、しかし確かにそこにある。

人間が有性生殖を行う進化を遂げた生物である以上その境界は確かにあって、個体差はあるものの明らかな身体的な特徴の差もあって、それぞれの向いている役割がある。

しかし人間はそれだけで構成されているわけではないし、体ひとつで仕事をするわけでもない。

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感覚的に結論を出すべきじゃないなと思って、ここで止めた。以下、現時点の私。

前半の恋愛対象や性的志向の話に関して、自分の書いたものなのに「はて?」と思った。恋愛とか性とか、考えなくなって久しい。異性と関わる機会が減ってるのも大きいかも。(もちろん会社にはいるけどあまり性別関係ない)

「男性」を眼差す私も、「男性」に眼差しされる私もいないし、「男性」を眼差す「女性」に眼差される私もいない(割とこれ、重要だと思う)

これからどんどんニュートラルになるのかもしれない。