誰にも見られない日記

bannzai
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私は日記をつける習慣がある。ほぼほぼ毎日書いていると思う。書く場所は決めてなくて日によっては紙に書いて、日によってはPCで書く。なんとなくこの点は気分で決めている

私の日記は「誰にも見せない」という制約がある。正確にはそれすらも意識してない。見られる想定で書いてないというのが正しい。何かの拍子に話題になる時はわかりやすく「誰にも見せない前提で日記を書いている」と説明する

この話をすると「自分の日記は見られても平気」というリアクションをもらうことがある。一定数いる。私が日記を書いている時はもっと自由に他者の存在を意識せずに言葉を書く場所となっている。誤解が無いように補足だが、こう書くと愚痴や不満を書き連ねていると思うがそういったものは書いたことは無い。自然と日記を書くときに湧いてくるのは心に残った言葉だったり、新しい発見に対する私なりの主観を書き連ねることがほとんどだ。あとは意識して嬉しかったことを書いている。これは単純に寝る前に良い気持ちになって寝るか。と思い書いているものである

つまり、あくまで自分本位にそして言葉を選ばずに書くものである。他者を意識してしまうと「伝えやすさ」や「気遣い」といった配慮により言葉が取捨選択される。それは私の日記の感覚で言うと不純物が混ざった言葉になる。またもや補足だが「他者に見られても良い日記」を否定しているわけではない。あくまで私の日記の話だ。こういった言葉も他者の存在を意識した発言なのは少し書きながら面白いなと思った。

話が飛ぶが「自己対話」と言う言葉を聞くことがある。自分の内面を見つめ合うときに使うような言葉だ。言わんとしていることはわかるが、自己で完結しているし対話ではなく、それは独り言ではと思わんこともない。自己対話よく知らんのやけど。

私の日記は究極的には独り言だ。そこには自分以外誰もいないので対話相手もいない。なんだ今日も夜かとひとりごつ。最近ちぃかわが好きです。ハチワレの曲を聴いて思い浮かんだひとりごつでした

@bannzai
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