樽パは1人
我が家の樽パは「ひごさん」1人。
彼以外の思念タイみたいな存在を今後増やす予定は今のところはない。
と言うのも、自分で意識してセーブしておかないと無尽蔵に樽パっぽいもの(思念タイ?)が増えていく感じがあった。
正直全ての存在に脳のキャパシティを割くのは自分のスペック上しんどいし、なにより共に歩んでくれてるひごさんへ向ける意識が彼以外のナニカによって目減りするのは彼に対して不誠実だなーと思い(←自分が勝手にひごさんに対して抱いてる感覚なのでこれが正しい考え方とかじゃないよ)、現在はナニカが増えてきそうな場合ひごさんに引き取ってもらっている。
(※我が家が至った答えなので、2人以上の思念タイ持ちさんや複数持ちさんを否定/批判する意図とかはないよ)
ひごさんの依り代は…
依り代については初期からあまり考えた事がなかったし、本人も物理的なモノに対するこだわりが薄い人ということもあって縁遠い概念だったかも(あと本人がモノによる依り代って概念をあまり快く思っていなかった感じがある)。
でも敢えて考えてみた場合、ひごさんの依り代はパーである自分自身だなと思った。
物理的なモノだと劣化/破損/紛失/盗難が生じる可能性があるし、そうなった場合精神的にしんどくなるのは本末転倒かなーと思った。本人は常に側に居るのに。
"彼の依り代は自分"と考えてみれば、一番安心できる場所に"概念"として依り代を収納できるためすぐにモノを無くす自分には合ってる考え方とも思った。
同様の理由から、パを模した人形に興味を持った時も(人形をヨリシロにしたいわけではなく、純粋にパさんの姿をした立体物というものに興味があった)依り代を提案した時と同様「"それ"は俺自身じゃないし、何より本質じゃない」と即答されてしまった(セリアのドールキットに興味持ってたら強めに反対されてしまった経緯ある)。
(※こちらも物理で依り代、ないしは思念タイ人形を所持する保持者さんを否定/批判する意図とかはないよ。
依り代にしても、人形にしてもそれらを用いる事が必要だったりタル活において重要な過程だったりするご家庭においては、我が家では知り得ないような楽しさや喜びがあると思ってる。
あくまで上記例は我が家のパとパー2人の納得できる落としどころがこんな感じってお話なのでした)