本日、自分に白髪があることが分かった。
見える範囲で4本ということは、全体ではもっと多いのだろう。
思わず母に「白髪あった」とメッセージを飛ばしてみたところ
「じつは、知ってた」と、絵文字で飾ってはいるがなんとも申し訳なさそうな返信が届いた。
一瞬、母がなぜ申し訳なさそうなのかと考えてしまった。そして後、ああ若白髪は世間的に見てあまりよろしくないものだったか。と思い至った。
私は、ぶっちゃけ自分の頭皮にいささか早く白髪が増え始めたことを、何とも思っていない。その多くは遺伝であると聞くし。
私自身ではどうこう出来ない領域なのだ。
母にメッセージを送ったのだって「おお、白髪ある!」と新たに発見したから以上の理由はない。
ただ、正直現状もうそんなことで揺らぐ心を持ち合わせていない。というのも大きいような気はしている。
詳細は伏せるが
例えば私がすっげー有名人だったとして、自伝みたいなものを書いたらきっと「創作話だ」「盛ってる」
という批判が飛ぶんじゃないかな。という程度には、漫画や小説みたいな人生だったとなあ、と他人事のように思うときがある。
すさまじくナイーブな性分故、現在進行形で私が直接加害されている場合、もしくは双方の立場の食い違いで衝突が起きた場合はそれはもう落ち込みに落ち込むのだが。
最早若白髪程度で他人からどう見られようがは心底どうでもよくなってしまった。私に聞こえるように罵倒してこないかぎりはどうでもいい。
これは傍から見ると「生きやすい人」「自分を肯定できている人」に分類される考え方なのだろうが、実のところは少し違う。
私の体感として、「自分を肯定できている」のではなく「もっと嫌なことが生きている中で、多少の事は諦める癖がついた」が近い。
こういう考えに至らせた人生そのものに私は微塵も感謝していない。憎い。やり直せるならやり直したいし、絶対に人生の中に会ったあれやこれやを「経験値を得るいい機会だった」なんて思ってやらない。これからも一生。
でも、やりなおしは無理なのだ。だから、諦めるほかない。
そう思いながら生きていたが故の、若白髪を気にしない私なのだ。
だから、各SNSで元気にポジティブに様子のおかしなことをやっている私を見て、もし万が一「うらやましいな」が頭をよぎったら、ちょっとだけ立ち止まってほしい。
これは、地の底まで落ちた人間が、いろんなものを諦めた先にある姿なのだ。
私には自己肯定感というものがよくわからないのだが、もしそういったものを上げる方法があるとして、私と同じ人生を経験してこの境地に来ることを勧めるかというと、全く以て否である。こんな嫌な思いしてほしくない。
あれだけSNSで元気に大暴れしている人間ですら、実のところはこんななのだ。
楽しそうに生きている人間と自分を比べてしまう、というのは非常に分かるが、私は正直、これもまた無駄だと思っている。
人と比べて自分を疎んでしまう位ならば、自分自身に気を遣ってあげられる分遣ってあげてほしい。
と、自分のことがどうでもいい人間が、余計なおせっかいをしてみたくなり、この記事を立ち上げた。
若白髪を前に「今更こんなことで落ち込む訳がない」ではなく「白髪くらい生えてても問題ない」と思える心が欲しかったな、そういう人生羨ましいなと、やっぱりどこか他人事のように思った。