お菓子って、よく見ていますか?
カントリーマアムのOPENの部分についている顔つきクッキー(実は裏面にもいる)とか、パックンチョの絵柄にミッキーがたくさんいただとか、アポロチョコの星形を探してみたりだとか、ハッピーターンの包装に書いてあるターン王国の小話とか。
同期のTはそういった細かいところまでよく見ています。カントリーマアムの「OPEN」の部分に顔がプリントされているせいで、そこから封を開けられないらしいです。
本題ですが、ペコちゃんのポップキャンディってあるじゃないですか。あれには「グーチョキパー」のじゃんけんの絵柄が入っていて、じゃんけんができるんです。そんなことは小さい頃から知っていたし、実際、昔はそれで遊んだりしてました。いつからかそんなことはしなくなっていきましたが…。なんだか、こういう日常に潜んでいるちょっとした「遊び」の部分を気にしなくなっていくのって、大人になった実感を突きつけられているようで寂しいです。Tの近くにいると、度々こういった報告をしてくるので、自分も童心に帰れるような気がしています。
今日、仕事中ふと飴が舐めたくなりました。以前Tと「このキャンディのじゃんけんは、やるよね?」「え……特に気にしてないかも」「嘘だ!」という会話がありました。大層ショックを受けている様子だったので、今度からは心の中で何を出すか決めてから取ろう…と思い、わたしは心の中で「パー」と念じながら、冷蔵庫からオレンジ味の飴を1本取り出しました。
飴に描かれていた絵柄も同じく、パーでした。あいこです。特に勝ったから、負けたからといって何かあるわけではないですが、何とも中途半端な結果。特に喜びも悲しみもありませんでした。席に戻ると、すぐ向かいに座っているTが「結果、どうだった?」と聞きます。
「パーとパーで、あいこだった。いちばんつまらない結果だね」とわたしが言うと、「いや、いちばん運命的だとも言える」とTが返します。
ああ、確かに、と何となく腑に落ちました。それは、確率的な意味なのか、「同じものを選択した」という意味かは分かりませんが、ぱっとそれを「運命的」と称した彼女の表現力に感心してしまいました。私が今日、飴を食べたくなって、じゃんけんでパーを出したのも、きっと運命だったと思うことにしてみます。