俺は今の所自分のやりたい事をやるためにただただ動いているが、その選択肢が間違ったという判断はしたことがない。
なぜそう考えるのか、それは選んだ選択肢を正解にするというありがちなことではない。正解になるのは当たり前のことである。なぜならその選択によってうまく行こうが悪くなろうがその経験が次の道の選択に繋がるからである。成功も失敗も挑戦をしたものにしか得られない「経験」である。俺は失敗はしても間違ったな、と思ったことは結果的にない。ここでいう結果的にない、とは最初そう思っていたとしても結果それが何か別の道に繋がり新しい発見や価値を見出せたりしたことによって間違ってはいなかったという判断になる事を指す。自分が間違ったと思うのであればなぜそう思うのかを突き止めるために時間を使うのもいいだろう。おそらくそれが正解だ。しかし物事を分解して数値的に定量的に見られる人間と物事を定性的に見る人間の2パターンがいる。俺はそういった失敗したが、よく見ればその工程は成功していた、だったりと小さな成功や変化を見つけて進んでいる。その結果俺は間違った判断をしていなかった、失敗はしたが間違ってはいなかったと気づくことができるのである。
その上でノーコードツールという選択肢だ。俺はこのノーコードツールを知ったのは高2くらいだったが、その時はstudioだったりのWebサイト制作系がうちの高校では流行っていた。俺もそのノリに乗せられた人間だ。しかしまさか誰でもできるようなこのノーコードツールで自分の理想の為のスキルとなるとは思ってもいなかった。俺はHENKAというコミュニティにてノーコードツールを学ぼうと思う。この選択の背景としては自分が事業としてアプリをリリースすることが必要になること、そしてそれを俺がやれればいいという事を考えたから。もう1つはそのノーコードツールを使って稼げる可能性を見出したということだ。後者の理由はとても不安定かつ不明瞭な理由だ。しかし実際に自分のスキルとなり「できる事」を増やすのは必要なことだ。俺自身が何かを作るといっても大体がスライドだったりフライヤーだったりだが、その点で言うと俺は酷いものしか作れないらしい。俺は結構出来がいいものを作れたと思っても周りの観点からするとあまり好まないものらしい。それは俺の「できる事」であっても、周りから見たら「できてるけど使えない物」と言う認識だ。それではまったくもって意味が無い。他に俺の取り柄と言ったら行動力と理想を広げる力。自分で今そう思っている。だからこそこのノーコードツールが必要なのだ。自分の理想のためになり、かつ、明日の飯を食える「できる事」を増やす。そのために俺はノーコードツールを学ぶ。この選択が失敗だったのか成功だったのかがわかるのはもう少しかかると思う。俺はハマる時はハマるしハマらない時はとことんハマらない。やっていて面白いものにしか興味がないからだ。面白くないものをやったり作っていて、それを提供するのはお門違いというものである。
色々と方向が彷徨ってしまったが、結論俺が言いたかったのは成功と失敗は経験の上に成り立っているものである。だから別に間違ってもいい。間違って間違って間違って間違って失敗。ということもある。全然ある。ただその経験を積むから幾重にもある成功につながる道を絞っていけるのである。成功したいなら間違える為に選択することが一番手っ取り早い。どうせ間違えだったなと思った選択は結果次の道になるのだから良いのである。