セクシー田中さんという作品を巡り、悲しい出来事が起きてしまって、すっかりまいっている。内容を知っている人は察していただいて、知らない人は特に追わなくていい話だと思います。
要はこういうことだよね、といえるほどシンプルな話ではないし、部外者なのでいろいろわからないけれど、いろいろ知らないふりしていえば、漫画原作のものを実写化した際のイロイロ(言葉にしたくない)が招いた悲劇だと思っています。
それ以降いろんな議論がされているけれど、原作への愛とリスペクトがないなら改変すな、という話がSNSでたくさん流れています。議論に加わりたくはないけれど、これは漫画だけじゃなくてすべてのカルチャーにおけるお話なので、今日はそこの話をだらだらしたい。
原作があるものを用いて何か表現をするときは、当たり前だけど、原作への深いリスペクトが必要だと思っています。今回話題に上がっているのは漫画を実写化する際のお話だった。漫画ともなると、絵だけではなく明確にストーリーが存在して、そうなると根幹となる芯というものがあるはず。この芯こそが作者の魂であり、ファンが惹かれるのもそこである。逆にいえば芯さえぶらさなければ、極論どのような形にもしていいと思っています。
原作をもとにして何かを制作する時に求められるのは、オリジナルの芯とは何か?を見極められるだけの原作への観察眼、その芯を大事にしようというリスペクトがあるかがまず第一。その芯だけは崩していないよな?という自分への批評性が次にくる。最後に原作にはなくても、アレンジをする人の新たな視点、このようなアングルから切ることでより面白くなる化学反応を起こせるか?という作家性がくる。作家性よりもリスペクトと批評性が前提にあるところが難しさであり面白さでもある。
俺は音楽が好きなのでどうしても音楽が主軸になっちゃうけど、音楽におけるカバーやリミックスでも同じである。音楽のほうが漫画や小説などといったストーリーがあるものよりも芯というものが見えづらいかもしれないけど、やることはまったく同じ。原作の本質さえ理解すればそれでいい。ギターウルフによる矢沢永吉のアイラブユーOKのカバーがいい例。あの素敵なロックバラードに対して、こんなにギターウルフらしく堂々と、エレキギター一本の弾き語りで絶唱している。矢沢永吉の曲のよさを、俺はYAZAWAがすきだああああ!!!!だけで押し切るカバーはなかなかない。方法論よりも愛情がまさってよくなっちゃったサイコーのパターンである。
というわけで今日はカバー曲のお話です。おはようございます、ほえほえにっきのびっちです。イントロが長い。
私は昔からカバー曲というものが大好きでして。カバーのセンスがいいバンドはそれだけで好きになっちゃう。逆にいまいちだとそれだけでアーティストの評価をさげちゃう。そんぐらい、カバーというものに対してはうるさい。カバー老害であります。今回のセクシー田中さんの騒動を見ながら、いやぁ俺もカバー曲で同じ思いをなんどもくらってきたなぁ、と思ったものでした。
カバーって文化は昔からよくありますが、自分の世代でいうと、木村拓哉とHi-STANDARDが90年代後半にほぼ同時期にキテレツ大百科の「はじめてのチュウ」という曲をカバーしたのが衝撃的だったですね。
キムタクの当時の映像はさすがに見つからなかったけど、あのときのカバーの評判をうけて木村拓哉と、あんしんパパ本人が後日共演したときの映像から。
この共演に、「はじめてのチュウ」という曲を解体するすべてがつまってて本当に面白いなと思います。あんしんパパはあえてコロ助の声になるように1オクターブ高くなるボイスチェンジャーを通して原曲を歌っているわけで、そこがかわいさをうむわけだけど、木村拓哉は「いやこの曲そもそもすごくいい曲じゃない?」と弾き語りでやることで見せてくる。そしてあんしんパパが地声で歌った瞬間に「うわぁ、キムタクが伝えてたことはそういうことかぁ」と理解させてくれる。
そしてこの曲をもっと解体してパンクロックサウンドにしちゃったのがHi-STANDARDさん。これが2000年の出来事かな。
英語詞にしちゃったのもいいし、ハイスタとしては珍しいぐらいのシンプルなエイトビートにしてるのもいい。これがハイスタのいつもの曲みたいにズタズタとツービートやブラストビートでうるさくしちゃったら台無しなわけで。こういうところにハイスタの面白さも感じるし、「はじめてのチュウ」っていい曲だね!って思い返させてくれるいいカバーだったなと思います。
「はじめてのチュウ」のカバー以降、ロックバンドが名曲をカバーするという流れはバカスカ増えました。特に当時は青春パンクと呼ばれるバンドも多くて、そっち方面がカバーをすることも増えてた気がします。カバーするひとが多くなるぶん、原作のいいとこを無視して自分達色に変えまくるカバーもたくさん増えて。
今でも覚えてるのは、FLOWの贈る言葉のカバーで、武田鉄矢が当時怒っちゃった事件。
これをこうしちゃった。
これは当時青春パンク好きな人ですら「うわぁwwwwひでぇwwwww」って思ったもんでした。武田鉄矢もこのカバーに当時苦言を呈していました。この曲を好きなファンもアーティストもげんなりしちゃってた。いわゆる原作へのリスペクトが足りないよ、ってのはこれがいい例だったなと思ってますし、これ以降自分の見る目も厳しくなってたと思います。
最近もあるアーティストが2つの異なるアーティストへのトリビュート企画で、連続して「きみたちそのバンド好きだったらそうはしないでしょ、、」というようなカバーを聞いてしまい、大層がっかりした(ファンの方ごめんなさいね。個人的感想なのでアーティスト名は伏せます)。そのアーティストのファンはいいかもしれないけど、カバーされたアーティストのファンには、「原曲はこんなにいいのにどうして、、」と心を痛めていた人をたくさんみかけた。特に原曲、元バンドのファンであればあるほどその傾向は強かった(俺のまわりの5人中4人がげんなり、1人はまぁこんなもんやろ。。といった感想)。音楽は人の好みなので、一般論としてこのカバーがダメというわけではないのを注釈として入れるとして、少なくとも自分にも全然ダメでした。リスペクトと、カバーする側が曲に向き合う上での客観性が圧倒的に不足していると感じました。切り口も面白みがない。ただ、カバーする側らしさだけが残っただけだった。
自分達の色をただいれたければオリジナルでやればいいじゃない、カバーでわざわざ元アーティスト、元アーティストのファンをまきこんでやる必要はありますか?になってしまう。ライブで余興でコピーして演奏するとかなら全然いいんですよ。本気で出されちゃうと、カバーするならば必要な手続きってあるでしょう、と思ってしまうのですよね。
しかもカバーする側が好きなアーティストだった余計になおさらがっかりする。俺はミスチルが大好きなんだけど、桜井のソロプロジェクトともいえるBank Bandがするカバー曲に毎回毎回がっかりしてはブチ切れてきている(たまーによかったよ!イメージの詩とかイメージの詩とか!)。あくまで俺の好みですよ、とは思いますけど、JUDY AND MARYの「イロトリドリノセカイ」のカバーは、JUDY AND MARYが大好きな嫁さんには絶対聞かせられないなと思ったし、たくさん顔が浮かぶシロップのファンには桜井が歌うRebornを聴かせられないなと思う。好きなアーティストだからこそ、きみたちもっとできたでしょう?と思ってしまう。
なので、この記事は、これこそがカバーでしょうよ!を投げつけておわります。俺は音楽だけでしか語れないけれど、例えば「逃げ恥」という繊細な漫画の実写化があんなにうまくいったように。どこでも原作者への愛を忘れない世界でありますようにと願います。
素晴らしいカバーであることの条件は、上にもあるように、曲へのリスペクトと、どうしてもでてしまう自我への批評性です。そこを乗り越えたうえで、どのように提示するのかが腕の見せ所。
5曲紹介します。
#1 California Dreamin'(The Mamas&The Papas) / Hi-STANDARD
まずはHi-STANDARD。俺がカバーにうるさいのは、Hi-STANDARDというカバーの名手が、カバーとはこういうものですよとイロハを叩き込んでくれたのもある。たくさんのカバー曲がすばらしいけど、ママス&パパスの「夢のカリフォルニア」のカバーは特に秀逸だと思う。
原曲はこちら。
もうもうもう名曲。美しいコーラスワークと、秋の季節のような少し冷たい哀愁がずっとただよい続けるところも美しい。名曲のひとつの条件に、どんな展開があっても不自然さを感じさせないところというのがあると思っています。不自然さは我に返らせちゃう効果があるからね。この曲はずっと「うわぁ、美しいなぁ」で押し通してくれて本当にありがたい。
そんな、ちょっとでも変にいじったらバランスが崩れてしまう曲に対してのハイスタによるカバーはこちら。
これはいつのツアーだったかな。1997年ぐらい、初めてのAIR JAMを開催するぐらいのワールドツアーかな。観客はハイスタのことをそんなに知らない外国の客だらけだけど、こんなに熱狂させてるところがまずすごい。
もう原曲と同じアプローチをしたら意味がないのは百も承知で、じゃあハイスタの個性と織り交ぜてうまくいくかどうかで勝負している。
元の曲の「ここでコーラスのかけあい!」「ここで絶対にハモりがきたほうが気持ちいい!」美しい曲ってとこをちゃんと理解した上で、そこだけは外さない範囲でのメロディックハードコアが好きだったらたまらない(≠ハイスタが好きだったらたまらない)展開の応酬。間奏部分のギターソロ部分の繊細な演奏からの激情的な展開がまたたまらない。終始タイトなドラムだけど曲をあきさせないおかずをいいタイミングで入れてくるツネちゃんのドラム。緩急のつけかたもうまいと思う。爆発するところまでちゃんと一度落とす。期待させて期待させて曲の一番気持ちいいところとハイスタの爆発的な演奏がかさなる。いやーかっこいい。
たぶんこの映像にいる外国の観客は、ハイスタのことはそこまで知らなくても、夢のカリフォルニアの原曲はみんな知っていたでしょうね。こんなカバーもってこられたらそりゃこんな熱狂の渦になる。
#2 約束の橋(佐野元春) / 向井秀徳
さて、カバー2曲目。佐野元春の「約束の橋」という曲。約束の橋の原曲はこちら。本人による最近の演奏から。
日本のロックはどこからが始まりなのか、はっぴいえんどからなのか、みたいな議論はずっとあるし、そこに自分は答えはないですが。佐野元春も日本のロックを作ってきて、かっこよくしてきたその一人だと思っています。今も活動してくれてありがたさしかないですが、今も当時のかっこいい曲を同じ熱量で演奏しているところもまたすごい。この曲はサビの最初の歌詞に歌われている希望の一フレーズがすべてのキモだと思っています。そこに至るまでの曲の流れが、橋の下を流れる川のようにずっと自然に流れていくところがまたいい。不自然さがないしサビにやらしさがない。本当に大好きな曲です。
この曲にふれたことがあれば、この曲をカバーすることは並大抵のことではできんと思う人が多いと思うけれど、それをナンバーガール/ZAZEN BOYSの向井秀徳が素晴らしいカバーしちゃったなー。
「今までの君は間違いじゃない」「これからの君は間違いじゃない」
このフレーズをいかにちゃんと伝えるかにこの曲はかかっている。それが向井は本当によくわかっている。尖りに尖った鋭利なエレキギター一本の弾き語りで、独特な向井の声がからむ。向井の声はどこか佐野元春に近かったりするんだよね。この弾き語りは原曲の骨格として、いかにコード進行だけで美しいかも教えてくれる。そしてサビのあのフレーズで向井らしく絶唱する。向井ならこう伝えるよな。
#3 ふるさと / 向井秀徳
これも同じく向井秀徳による弾き語りカバー。
うーさーぎーおーいしーかーのーかーわー、という文字列を見てメロディが流れてこない日本人はあまりいないと思います。そう、ふるさとという日本人にとっての「いつの日もこの胸に流れているメロディー」があります。
原曲はこちら。
これを野暮ったらしく語るのはあまりしたくないですが、日本でしかできない音楽だと思うし、ずっと語り継がれていてほしい曲ですよね。
2011年3月11日に東日本大震災が起こったあと。いろんなアーティストが、なにかしらの形でメッセージを出したり、行動を起こしたり、曲を出したりしていましたが。なかなか動けない人たちも多かった。それぐらい混乱してたもんね。
向井秀徳は、震災の5日後、そっと自分のYouTubeチャンネルにこの曲のカバーをあげていました。このカバーについては、特に解説とか加えないので、よかったら自分で聞いてみてください。聞き終わったら、YouTubeのリンクにとんでいくと、この曲が公開されてから今までの数々のコメントが寄せられています。
カバーとは?曲の本質とは?この震災後のタイミングで、だれかに何かを伝えるとは?のひとつの究極系だと思います。
#4 ニホンノミカタ(矢島美容室) / 藤井風
愛がすぎちゃって「ほんまおまえはwwwww」とさせられるいい例。これはもうポンポンっと原曲とカバーバージョンを置いておきます。
原曲はこちら。うっわぁ名曲!バラエティをつきぬけて、日本のJ-POPとしても屈指の名曲なんじゃなかろうか。マツケンサンバIIとTimingとこの曲はもっと語り継がれていいと思います。
そしてカバーはこちら。サムネイルでもうバカ。えーと、藤井風さんですよね?(そして藤井風を知れば知るほど、この曲に納得していくようになります)
そして最後の曲はこちら。
#5 贈る言葉 (海援隊) / FLOW
FLOWは贈る言葉を2003年に発表した当時死ぬほどたたかれた。当然俺は一発屋で終わるバンドだと思っていました。あーやっちゃったなーと思いました。でも、FLOWは地道に活動をつづけた。途中Majorのアニメ主題歌もつかんだりもしていて、俺でも知っているヒット曲をだしたりしていました。でもそのあとを知ってる人は少なくなってきたんじゃないでしょうか?
2010年には海外デビューを果たし、2015年にはワールドツアーを行っている。本当に地道にライブバンドとして活動を続けてきていて、今も全国のライブハウスでの活動を続けている。音楽が本当に好きなひとたちだった。
贈る言葉が当時発表されたときはそりゃあこっちも拒絶反応しかなかった。でもFLOWのそういう継続したがんばりを目にしつづけると、聞こえ方ってのは変わってくるもんですね。
カバーには、愛が必要だと前に書きました。批評性も必要だと書きました。ただそれを形にするだけの器用さが必ずしも誰しも備わってるわけじゃない。不器用でも、形にならなくても、FLOWなりの全力があったんだと思う。
贈る言葉発表からもう20年、ずっと続けてきているってすごいこと。
このMVは、まったく同じ曲だけど、20周年を記念して作られた新しいMVです。サムネイルでもわかるとおり、武田鉄矢が金八先生として登場して、FLOWに向けての賛辞の言葉を贈っている。そうやってきくと、全然違って聞こえる。
こういう素晴らしさもあるんだよね。面白いね音楽って。
素晴らしいカバー曲たちがこれからも聞けますように。くそカバーもどんどん聞いていきたい。チャレンジすることは大事。繰り返していって試行錯誤しながらかっこよくなっていくんだから。
「今までの君はまちがいじゃない これからの君はまちがいじゃない」
カバー老害として、年老いていった先にこうやって出会えることもあるんだから、いいこともあるよね。これからもワーワーいいながら、いつか手のひら返しして褒められることも楽しみにしています。Bank Bandも2つ続けてダメだったバンドも!ずっと期待してんだからな俺は!