さよならなんて云えなかったはずだった

biccchi
·

小沢健二というアーティストがいる。俺と同世代、またはちょい上ぐらいの世代の音楽好きにとっては、特別な存在。J-POPの世界で、過去の音楽への愛情をたくさんしのばせながら、いかにして音楽はすばらしいかを王子様キャラの裏でリスナーに伝えようとしていた。

今星野源がやっていることと、王子様キャラをまとうかどうかはおいといて、本質的には同じだよね。だから今星野源がすごく好きで、星野源を追う旅もはじめているところです。(いつかバースデイみたいに連載にできたら)。

話は小沢健二にもどります。小沢健二のなにが好きだって歌詞がとにかく好きだった。Mr.Childrenみたいにパーソナルなことを歌っていくものが主流になっていくなか、小沢健二の歌詞は、平易な言葉でちゃんと文学だった。それはまるで絵本や童話のように、子供に誰にでもわかることばで、たっぷりのユーモアと少しの社会の怖さをおりまぜて教えてくれるかのように。小沢健二の歌詞は、すっと入ってくるのに、風景に命を与えてくれる言葉ばかりだった。歌詞をほとんど重視しない自分にとっても、小沢健二の歌詞は特別になった。伝えたいことを難しく伝えるのではなく、だれにでも伝わる言葉でわかりやすく表現するほうがよっぽどかっこよくて詩的なのであることを教えてくれたのも小沢健二だった。今もその考え方は自分の考え方に大きな影響を及ぼしている。

一番好きな曲は「さよならなんて云えないよ」という曲である。この曲はのちのちリアレンジされた際に「美しさ」という曲名になったことがあるけれど。生きることの美しさがここには描かれている。俺はタモリが大好きなんだけど、タモさんも小沢健二のことはずっと好きだったのがうれしかった。タモさんはMステで明らかにミッシェルと小沢健二をひいきしていた。小沢についてはファンを公言していたように思う。

小沢健二のさよならなんて云えないよの歌詞のすばらしさについては、俺よりもタモさんの評が的確すぎるので、実際にメディアで交わされた内容を文字お越ししてくれているこちらへのリンクをはっておきます。

「左へカーブを曲がると光る海が見えてくる 僕は思う!この瞬間は続くと!いつまでも」

この曲をはじめとし、「天使たちのシーン」という曲の歌詞を何度も何度も書き起こししては自分の中に反芻させるということをやってきました。「強い気持ち・強い愛」という曲の中の光景があまりにもきれいで、自分の披露宴でも大事なところで流しました(いつか披露宴をあげることがあれば絶対流したい曲として学生の頃から唯一決めていた曲でした)。親友が披露宴でこれ流れた瞬間に泣いてて笑いました。

他にも小沢健二からたくさんの古い洋楽を教えてもらった。自分にとって小沢健二は文学への接点でもあり、過去のすばらしい音楽たちへの入り口の役割も果たしていた。

自分にとって特別なアーティスト、小沢健二。よく好きなアーティスト3つあげてね、といわれたら、Mr.Children、Hi-STANDARD、小沢健二と答えていました。高校ぐらいからずっと変わらなかった。

それが。今は、3つ答えてねといわれたら、Mr.Children、Hi-STANDARD、あとひとつはそのときどきで違うようになりました。PerfumeであることもあればELLEGARDENのときもある。小沢健二と答えることはなくなってしまった。

ずっと好きではあった。90年代で一度小沢健二の活動が止まったあとも聞き続けてたし、途中ブラックミュージックや謎のインストアルバム出してたときも適当にスルーしながら覚醒を待ってた。2010年に突然ライブで復活したときは意地でもチケットとったし、初めて見る小沢健二のライブの内容のすばらしさに興奮して感想を書き散らかしていたような気がします。特に「愛し愛されて生きるのさ」のラップ部分!(ラップとも呼べないしゃべりの部分!)。そのあともどのライブも趣向が凝らされていて本当に好きだった。ライブハウスツアーで新曲をバカスカやってたときも、新曲がいちいち生々しくて、その姿を追っているのがうれしかった。

好きだった。うれしかった。そうやって、過去形の言葉が連なる。これは今の自分が小沢健二に心動かされなくなってしまった証拠である。いつからだろう。小沢健二にまったく心動かされなくなったのは。

小沢健二はいつもやることをコロコロ変える人だった。だから表現したいことが変わることについては何の違和感もない。むしろどんどん変わっても「ああ小沢健二だな」と思わせてくれるものがあったから、変わることはかっこいいことなんだって青臭い俺にも教えてくれる何かがあった。

だけど、俺からみると、過去の遺産だけでやっていくように見えた瞬間があったんだよね。それが悪いこととも思わないし、俺にそうみえただけで決してそうじゃないと思うんだけど。今でも小沢健二の新譜のタイトルが「So kakkoii 宇宙」というタイトルだったときのズッコケ感はわすれられない。これはカッコ悪いぞ、と思ってしまった。アルバムも聞いたけど全然刺さらなかった。

唯一、そのアルバムにさきがけて公開された「アルペジオ」という曲にはとても心動かされた。

アルペジオという曲は、小沢健二が尊敬した作家岡崎京子に向けての賛歌だった。岡崎京子に向けての賛歌を歌うにあたって、小沢健二の半生を映すような内容だった。歌詞は調べたい人はどうぞ。歌詞を解説すればするほど野暮ったくなるし、小沢健二を好きだった人にしか伝わらない内容だし。

今となっては、自分には小沢健二はこの曲がクライマックスになってしまったのだと思う。

この曲を武道館で聞いて以降のライブはフジロック以外一度もいってない。チケットを取ろうという気もなぜか起こらなかった。だってアルバムのタイトルが「So kakkoii 宇宙」のツアー。それが中心になったとて全然期待できない。きっとライブいったらいいもの見れるのもわかってる。でもなんとなく予想ができる範囲だよな、ってなってしまってきていた。小沢健二にはどこかでずっと驚きを感じていたかったのだと思う。自分勝手な期待だと思う。

こないだ小沢健二が東大で授業を行ったというのはすごく心が躍った。もともとアカデミックな人だったし、活動休止中に社会学や環境学の研究をつづけていたことも知っていたから、小沢健二の明かされてない本領発揮をアカデミックな方面で見れそうだなというのもドキドキした。でも、どうも音楽のほうで心おどれてなくて、見に行こうという気にならなかった。友人が見に行ってえらく興奮していたようなので、なぜかそれで満足してしまった。

その講義のときに発表されたらしい、新譜の「Noize」を聞いた。GEZANのマヒトゥがボーカルをつとめていて、小沢の曲をほかのひとが歌うということに新しさを感じた。これはこれで悪くなかった。

だけど、カップリングが、個人的にだめだった。「アルペジオ」と「いちょう並木のセレナーデ」のメドレー。ラップの部分の熱量は「愛し愛されて生きるのさ」を思い出させ、アルペジオもいちょう並木も俺たちのあのころを想起させるには十分な選曲だった。とてもよかった。でも、これが、なんだか走馬灯のような、エンドロールのような、そういうふうに聞こえてしまった。だって新曲よりこっちのほうがよく聞こえてしまう。

俺は小沢健二には、過去のいろんな音楽を参照しながら、今おもしろいことをやってほしかった。それが新曲にずっと表れてほしかった。新曲がいちばんかっこいい小沢健二であってほしかった。

これを音源化する理由はあったのだろうかと思ってしまう。Noize一曲でいいじゃないか、と思ったし、NoizeはNoizeでいい曲なので、マヒトゥボーカル版と小沢ボーカル版があればそれでよかったんじゃないかと思う。小沢健二は決して歌はうまくないけれど、でも替えの利かない声なんだよね。俺は小沢の声が大好きなんだ。きっとNoizeがマヒトゥボーカルがあったうえで小沢ボーカルもあったら、俺はさらに好きだったと思う。

でもなんか、このNoizeとメドレーは、マヒトゥと過去の自分に逃げた作品のように感じてしまった。ちょうど今星野源をよく聞いているからこそ、星野源が戦い続けているのを見ているからこそ、なんだかダメに思えてしまった。

比べるものでもないと思うし、小沢健二が過去の自分もネタにしはじめるのだってもうやっていいキャリアだと思う。でも自分の中のねじれた、こじらせた小沢健二への愛情が、こうあってほしいという勝手な願いが、勝手に俺が押し付ける期待が、今の小沢健二のスタンスを俺の中でよしとしない。

ここ5年ぐらいずっと小沢健二にうーんと思ってきていたのが今回でダメ押しになった感がある。知ってる人は知ってると思うけど俺は小沢健二を本当に大好きだったので、我ながら結構ショックでもある。このショックを何かで残しておこうと思ってこうしてだらだら書いているのである。

こんなのは波だと思う。小沢健二と自分の波があってないだけ。小沢が悪いわけでもない。小沢は今までどおりやりたいようにやってほしい。今は自分がなぜかついていけてないだけ。小沢健二を引き続き好きな人もいるだろうし、新しく好きな人もいるだろう。そういう人たちにいっぱい話を聞かせてほしい。

またいつか波長が合う日がくるかもしれないし、そうあってくれたら俺は本当にうれしいですけど。しばらくは小沢のライブはいかないかな。新曲が配信されたら聞きます、程度で。

さよならなんて云えないと思ってたけど、一度、さよならです。また会おうぜ小沢健二。いつか「あんときはごめんって!!」って言いながら素直に大好きだーといえる日が来る日を待ってます。

さよならなんて云えないよの曲のリンクを貼ってこの記事を終わります。

「本当はわかってる 二度と戻れない美しい日にいると そして静かに心は離れてゆくと」

@biccchi
びっちです。