映画PERFECT DAYSを見てきました。カンヌ映画祭で役所広司が主演男優賞をとった映画。ネタバレありの感想をたまにはつらつらと。ネタバレばっかりしてるのと、自分の主観を思い切り書き連ねていて、まだ映画を見ていない人はこの先を見ないことをお勧めします。もしこれから見る人にとってはバイアスにしかならないので。
あらすじ
東京・渋谷でトイレの清掃員として働く平山。淡々とした同じ毎日を繰り返しているようにみえるが、彼にとって日々は常に新鮮な小さな喜びに満ちている。昔から聴き続けている音楽と、休日のたびに買う古本の文庫を読むことが楽しみであり、人生は風に揺れる木のようでもあった。そして木が好きな平山は、いつも小さなフィルムカメラを持ち歩き、自身を重ねるかのように木々の写真を撮っていた。そんなある日、思いがけない再会を果たしたことをきっかけに、彼の過去に少しずつ光が当たっていく。
感想
映画のつくりとしてはシンプルで、トイレの清掃員を生業として生きる中年男性が、単調な日々を淡々と、そして丁寧に生きている。言ってしまえばそれだけの映画。単調な生活の繰り返しの中にも、小さな変化はある。自分が好きで聞いていた音楽が誰かに気に入ってもらえた日もある。トイレ清掃で行く公園で、ホームレス?と思われる方が不思議なポーズをしている。たまたま二日連続隣のベンチで同じ時間に同じひとがサンドイッチをたべている。仕事帰りに通う居酒屋がいつもは閑散としてるのに、なぜか満員でいつもの席ではなくカウンターのはじっこで飲むことになる。大ネタバレになりますが「木漏れ日」を日々観測し、木漏れ日の美しさに感動する(なんなら毎日その木漏れ日を写真に切り取ることまでしている)。ラストは木漏れ日という言葉の意味を説明するモノローグで幕を閉じる。
木漏れ日という言葉は英語に訳すことができない、というのを聞いたことがあるでしょうか。木々から太陽の光が漏れてくる、その光が風や雲や葉っぱの動きによって差し込み方が一瞬一瞬異なってくる。その「一瞬一瞬のこと」とこの映画では木漏れ日のことを定義づける。ここにこの映画の伝えたいことが詰まっているのでしょう。
小さな日々の変化、一瞬一瞬を全身で味わうことが生きていくうえでの一番大事なことなんじゃないかな、っていうメッセージのようなものがあったようにあります。「今度は今度、今は今」という言葉もあった。今という時間をどれだけ解像度高く生きていくか。ひとつひとつがとても丁寧に描かれていて、見終わったあとはじんわりとした感慨が残る。とても味わい深い映画でした。
というところがまずこの映画の一周目の感想。派手な暮らしじゃなくたって、つつましく誠実にいきてれば幸せというものは目の前に転がっているものなんだよね、ということを改めて思わせてくれる。
という感想を、映画を見ている序盤から中盤はそう思っていました。もちろん最後までみてもそういう感慨が残ってはいるんだけど。途中から、なんかこの映画不思議だな、と思うようになっていきました。
この主人公の平山という男は、平山にとってあまりにも美しい"PERFECT DAYS"を、自分の生活の中から見出した人ではないように思いました。この生活をあえて選んだ人のようにみえたのです。途中、平山が実はもともと裕福な人だったのではないか?と想像させる場面が多数登場する。文学や音楽にも精通している。たくさんの本があり、おそらく教養レベルも高い。トイレの清掃員では食っていけない、、といった描写が続くのかなと思ったら、とんちきな部下にお金を貸したりする。この映画の間ずっと平山の車につんであるカセットテープからの音楽が流れつづけるけれど、カセットテープに金銭的価値があることがわかっても、売るなんてことはしない。生活が苦しそうに見えるのに。
途中平山の妹の娘が平山の家に家出してくるシーンがある。その後妹が娘を迎えにくるのだが、妹さんは明らかに富裕層の家庭であり、「ほんとに今トイレ掃除してるの?」と妹にいぶかしげな眼で見られる。
妹の娘との会話がとても象徴的だ。「ママとおじさんは、仲が悪いの?」という質問に、平山は「おじさんはあの人と住む世界が違うんだ。この世にはたくさんの世界がある。重なりあえる世界もあれば、そうでない世界もある。」といったニュアンスの言葉を口にする。
平山は、きっと、ある世界から降りて、この"PERFECT DAYS"を選んだんだと思う。その降りた理由は映画ではあかされない。よくあるパターンだと、何か仕事の出世争いに負けたとか、家庭が崩壊したとか、お金だらけの世界につかれたとか、そういう理由で出家のような形でスロウライフを選択するという話はよくある。そういう人はどこかで影を背負いながら、必死にスロウライフをつかみ取ろうとする。
でも平山は、そういうわかりやすい何かではない気がする。なぜかは映画ではまったく明かされないのでわからないけど、ある世界を降りて、本当に生き生きと悟りのように晴れやかな顔で今の生活を選んでいる。多分この人はいつだって元の世界に戻れる人なんだ。でも、わざとそうしない。意地でも淡々とした変化のない生活こそが幸せだとして生きている。
その姿が、40を過ぎた自分には、すごく心に迫るものがあった。この映画は、幸せはすごく近くにあるものだと教えてくれるものであり、何かを捨ててでも人生を選んで勝ち取るものなんだ、という覚悟が必要だと迫るようでもあった。
そういう内容だとしたら、平山はなんでそういう選択をしたんだろう。平山という男にとにかく興味を持つ映画だった。
最後のエンディングの平山の表情は何を思っての顔だったのだろうか。朝日の美しさに感動していた顔のようにも見えたし、変化のない日々を望んでいたのにまた変化に巻き込まれはじめていることへのあきらめのような顔にも見えた。「お父さん体こわしてるからあってあげて」「あいつのことを頼みます」。そういう大きな変化がない世界を選びたかったのに、やっぱり巻き込まれている絶望のようなものも感じました。だからこそ、変わらず上る朝日があまりにも美しい。「俺の望んでいる喜びはこういう朝日や日々の木漏れ日だというのに」といわんばかりの。
この映画の平山は自分のことをさしている、と思う人は多いと思う。それはきっといろんな意味で、人それぞれの形で思うのだろうけど。俺は、平山が"PERFECT DAYS"を選ぶ前の、何かの選択をまだできずにいる平山なんだな、この先の一つの選択肢としてこういう形があるんだろうな、と思いました。
いろんなことを考えさせられる映画でした。きっと人それぞれのPERFECT DAYSがあるんだろうと思います。それは素晴らしい映画である証拠です。
いずれにせよ、平山という男の人生に興味はもてど、日々を大事にしよう、というシンプルなメッセージが自分の中に残る映画であるのは共通していることじゃないかなと思います。美しい映画です。ぜひ一度ご鑑賞ください。
人生初めての映画感想文でした。