読書感想 - 太宰治『駆込み訴え』

びきニキ
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私はあの人を愛している。あの人が死ねば、私も一緒に死ぬのだ。あの人は、誰のものでもない。私のものだ。あの人を他人に手渡すくらいなら、手渡すまえに、私はあの人を殺してあげる。

太宰治の「駆込み訴え」を読んだ。太宰作品の中で一番好きになった程の傑作だった。

本作は「主人公が自暴自棄になり、尊敬している人物への愛憎相半ばする感情を第三者に訴えている話」である。が、もはや本人すらもどちらがどちらの感情か判別できなくなっている。混乱、興奮、狂気を孕んでいる程の強い愛、執着心。それらを感情のままに捲し立てる様子は本当に圧巻だった。

本作は太宰の口述を妻が筆記した短編小説である。代筆であることが影響しているからか分からないが、句読点がとても多いことが特徴だ。だからこそ、堰を切って溢れ出る主人公の気持ちが上手く表現できていると感じた(太宰作品を読んだ経験が少ないので分かっていないが、実はこの作品だけではないのかもしれない)。

この作品は現代風に「推し活の果て」「解釈違いで発狂するファンのお気持ち表明」と揶揄されることがある。言い得て妙だけれど本当にその通りで、推しのいる人は身近に感じられて面白いのではないかと思う。

以下の文なんてまさに「推しに恋人の影が見えたときのファン」そのものだろう。

その時、あの人の声に、また、あの人の瞳の色に、いままで嘗つて無かった程の異様なものが感じられ、私は瞬時戸惑いして、更にあの人の幽かに赤らんだ頬と、うすく涙に潤んでいる瞳とを、つくづく見直し、はッと思い当ることがありました。ああ、いまわしい、口に出すさえ無念至極のことであります。あの人は、こんな貧しい百姓女に恋、では無いが、まさか、そんな事は絶対に無いのですが、でも、危い、それに似たあやしい感情を抱いたのではないか? あの人ともあろうものが。あんな無智な百姓女ふぜいに、そよとでも特殊な愛を感じたとあれば、それは、なんという失態。取りかえしの出来ぬ大醜聞。

前述したように語り口調で書かれているため、読み手が訴えを聞いている感覚で世界感に没入出来る。

また、混乱している中自分の考えを後押しするためか、反復するような書き方が多いのも特徴だ。「ええっ、だめだ。私は、だめだ。」「売ろう。売ろう。」「あの人は、酷い。酷い。」など。

好きだ、尊敬している、この気持ちに報酬なんていらない…と言いながらも、結局は報酬を求めているところなんて、どの時代でも起こり得るよくある話の一種だ。

私はあの人の美しさを、純粋に愛している。それだけだ。私は、なんの報酬も考えていない。

出来ればあの人に説教などを止してもらい、私とたった二人きりで一生永く生きていてもらいたいのだ。あああ、そうなったら! 私はどんなに仕合せだろう。私は今の、此の、現世の喜びだけを信じる。

本作はある分野の知識があるとさらに楽しめると思うのだが、ここでは詳細に触れないので、気になる人はまず読んで欲しい。短編小説のためサクッと読めるし、スピード感のある展開も癖になる。物語の内容も、多少なりとも共感できる部分があるのではないだろうか。

好きな文章抜粋

あの人は、私の女をとったのだ。いや、ちがった!あの女が、私からあの人を奪ったのだ。ああ、それもちがう。私の言うことは、みんな出鱈目だ。一言も信じないで下さい。わからなくなりました。ごめん下さいまし。ついつい根も葉も無いことを申しました。そんな浅墓な事実なぞ、みじんも無いのです。醜いことを口走りました。だけれども、私は、口惜しいのです。胸を掻きむしりたいほど、口惜しかったのです。なんのわけだか、わかりませぬ。ああ、ジェラシィというのは、なんてやりきれない悪徳だ。

ああ、我慢ならない。堪忍ならない。私は、あの人も、こんな体たらくでは、もはや駄目だと思いました。醜態の極だと思いました。あの人はこれまで、どんなに女に好かれても、いつでも美しく、水のように静かであった。いささかも取り乱すことが無かったのだ。ヤキがまわった。だらしが無え。あの人だってまだ若いのだし、それは無理もないと言えるかも知れぬけれど、そんなら私だって同じ年だ。しかも、あの人より二月おそく生れているのだ。若さに変りは無い筈だ。それでも私は堪えている。

はッと思った。やられた!私のことを言っているのだ。私があの人を売ろうとたくらんでいた寸刻以前までの暗い気持を見抜いていたのだ。けれども、その時は、ちがっていたのだ。断然、私は、ちがっていたのだ!私は潔くなっていたのだ。私の心は変っていたのだ。ああ、あの人はそれを知らない。それを知らない。ちがう!ちがいます、と喉まで出かかった絶叫を、私の弱い卑屈な心が、唾つばを呑みこむように、呑みくだしてしまった。言えない。何も言えない。あの人からそう言われてみれば、私はやはり潔くなっていないのかも知れないと気弱く肯定する僻んだ気持が頭をもたげ、とみるみるその卑屈の反省が、醜く、黒くふくれあがり、私の五臓六腑を駈けめぐって、逆にむらむら憤怒の念が炎を挙げて噴出したのだ。

私は、ちっとも泣いてやしない。私は、あの人を愛していない。はじめから、みじんも愛していなかった。