それが友情だと、私は思う

ぶらーぽ
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公開:2025/1/2

新年ともなれば、「友情とは」なんていうちょっとおイタイ思考に割ける余裕が生まれるのか。

このポストに対する反応を見ていると、性欲と友情の云々の人々の考えが読める……が、なんか俺の思ってるところとは違うなぁと思ったり

思ったことをさっと書いたら思いのほかいいねを受け取ってしまったので、せっかくなのでもうちょっと大枠から自分の考えを書いてみようと思う。誰かの受け売りになった記憶はないが、似たようなことを考えている人もたくさんいるんじゃないかとは思っている。変かもしれんし、ずれてるかもしれんけど、そこはまぁ、そういう人間だと思っていただければ。(人とのかかわり方は元々下手くそなのをなんとか繕っている側の自覚があるが)

友情を相互努力だと思っている

そもそも、私の中での友情は上記の通り「表向き友人としての振舞い・関係を維持する相互努力」である。ここでいう表向きは対象の人に向けてであり、誰か第三者に内心を相談、漏らすとしても本人に知られないよう最善を尽くすものとするようなものとしておく。

例えば内心で、劣情を抱いている、許せない所がある、見下している、侮蔑している、打算がある、ぶっちゃけ何とも思ってない、まぁ色々あるとして、それを相手に向けない限りは無視して、表向きの友達としてありたいとする振舞や友好関係だったりを拾って評価する物だと思っている。人がそういう考えを抱くこと自体は仕方ないと割り切っている。その辺の考えの相違で友人関係が終わるのも仕方の無いことであろう。

人が考えていることなんて分かりようが無いし、自分に見せている部分を評価するしかないわけで。自分が見えない(見せられていない)部分に期待を寄せても、しょうがないんじゃないかなと思う。

男女の友情について

特に男女の友情についてという話も、ここの定義から大きくずれないが、異性交遊と友人関係は現実問題ややこしいので、「友人関係を維持するために」いろいろと要件が加わるだろうと思う。

例えば極端な話「セフレも友人の内」とお互い思っているならナニしてようが友情は維持できるであろうし、下ネタ全部NGですって思う相手なら下ネタを避けつつ楽しい話題を提供し合うのが友情であろう。相互努力である。勿論セフレなんて関係を不満に思うパートナーがいるのであればそれを遠慮するなど、周囲も加味して一定弁えるのも必要であろう。時には男性側が性欲を暴走させないように双方色々気を付けなければならない時もあるだろう。でも、それだけの話である。

男女の友情が成立するのかなんて、お互いが成立してると思ってるなら成立してるだろうよ、相手が期待通りの事考えているかは知らんがねとしか言えない。逆になんで同性同士の成立を前提にできるほど信じられるんだ。

話題にする価値があるとしたら、「男女の友情を成立するために自分は何をし、相手に何を求めるか」だと思っている。

「親しき中にも礼儀あり」

「友人とは全て無遠慮に話せる関係である」という定義をして行動している人がいる。そしておそらく、これが多数派である。

噛み合えば苦労は無いと思う。実際、そういうタイプだろうなぁと言う人とも笑えて話している。が、噛み合わないのが悲惨である。もはや嫌がらせである。勘弁してくれよっていうノンデリな言葉を、ひたすら浴びせられるのだ。別に喧嘩をしたいわけではないのでそっと離れたいのだが、適当にいなしているだけなのに向こうの中で思いの他好感度が勝手に上がっていたりする。なんなんだ。(無事脱出しました)

私は噛み合わない所がある相手だとしても、なるべく友人関係でありたいと思っている。が、こういう状況になってしまうと好感度もだだ下がりでとてもじゃないがやってられなくなる。

「親しき中にも礼儀あり」、本当にいい言葉だと思う。友情云々で変なトラブルになっている人はここらへんの距離感が微妙、という印象がある。友人相手なら何しても許される訳とちゃうぞ

投稿について

友情は時に我慢もあるし、それが相手側に寄っていたのだろう。ギリギリのバランスに成り立つ場合もある、その通りである。

男性方については、何らかの劣情を抱いていたとして行動に移さず、友人関係を維持していたのであれば「友達だと思ったことは無い」なんて言わなくていいのではないか。

ただ、それを明け透けに表明してしまったのであれば、その瞬間に友情と言う関係は崩壊してしまっただろうと思う。こんなこと言ったら不愉快に思われるのも仕方ないし。我慢に限界が来てしまったのであろうか、結婚後での交友は苦しくなるだろうと言う中で、思いを秘めていたことを最後に伝えるのが誠実だと思ったのかは分からないが。

反応について

性欲に厳しい

結構な人が男女の友情関係の定義の指標として「性的関係になりたいと思ってしまうか」を使っているように見えた。そして主に女性が、劣情を抱くとかの時点でNGを出している反応が目立つ。

これは女性側がそれを知るのが性的アプローチを受ける地点なので致し方ないとは思うが、「一切の劣情を抱くな」まで行くとしたら、それはあまりにハードルが高いのではないかと思う。容姿とかあんま関係ないし。

とはいえ所謂ぬいぐるみペニス現象などのように、不愉快に思ってしまうものは思ってしまうのだろうし、女性特有の警戒感等あるのだろうし、仕方ないことなのかもしれない。

「女性の方が男女の友情を信じている傾向が強い」という反応も見られたが、これは数多の男性の自制によって成立した貴い友情関係であると信じる。打算かもしれないが、打算があったって立派な友人関係にはなろう。宿題を写したいがために始まる友人関係だってある。許されないとしたらそれに伴う失礼であると思う

「友人」という概念を軽んじているように見えてしまう

なんというか、「そんな面倒なこと考えてるの君だけだと思うよ」って言われてるかのように、皆友情について軽いなぁって言うか。例えば後から思い違いがあったくらいで、そんな軽率に「存在しない」って言えてしまえるのかというか。

いや、ありふれたものではあるけれど、友人関係って本当に貴いものだと思うんですよ。そういう風に思ってくれる人がいるってことは本当に大事にした方がいいと思っていて。日々感謝

私が人と会話することに結構な負荷がかかるタイプではあるので、「何かアクションが無いと友人関係の構築や維持は困難」ということを強く意識しているせいかもしれない。

「真の友情」を唱える人が多い

「一切気をつかわず、ありのままの関係で居ても許されるような友人関係」を「真の友情」としたとき、そういったものを強く願うような人が多い。

確かにそういう人がいたら、とても気が楽だろうと思うけど、自分はこういう存在を心の底からは信じられない。そもそも相手の内心なんて分からないし、ある程度心を通わせられる所が大きかったとして、どこかに不愉快に思う地雷があるかもしれない。一方的に過度な全幅の信頼を寄せておいて、それで何かうまくいかなくて「裏切られた」みたいな思いをするのも嫌だなと思う。

「真の友情」とか考えてもしょうがなくないか。すべてはグラデーションだし、友人になれるかはその閾値の問題だと思う。求め始めたらきりがないと思う。

大体こういうのを人に求めるのは内心の自由の侵害だろ。友達を不快に思う権利も、勝手に興奮する権利もあろうと思うよ。

あと、『人間関係の評価指標として「楽」を持ち出すこと、それを強く期待することは恥ずべきことである』、とも思っている。絶対一方・両方は多かれ少なかれ何かを我慢したり飲み込んでいるだろう(それ自体は仕方ない)中で、無遠慮が過ぎるように見える。

終わりに

自分が一人でいるのが好きなのは、こんな七面倒くさいことを頭の片隅に入れながら人と関わり続けてるからだろうので、皆がこのように考えるべきとは思わないです。

【追記】2025/01/02 22:40

あれからさらに順調に伸びまして、ついにクソリプが集まり始めると言われる閾値の1000いいねを突破しました。こうなると本当に通知が止まらない状態になる。すごい。クソリプはいつ来ても大丈夫なように臨戦態勢です。

また、「共感しました」という旨の感想レターも何通か頂きました、ありがとうございます。

また思ったことが増えたので追記する。主に自分語りでタイトルからはだいぶ脱線しているが、ご容赦頂きたい。私個人の属性が開示されることで感想が変わってしまうかもしれないが、インターネットならそういうこともあろう。

LGBTQ的な視点

元投稿の反応の一部として『「男女の友情は成立するのか」という題目設定自体においてLGBT的な視点が最初から除外されている』という指摘(問題意識と言うよりも、気づき)が見られた。

LGBTとかその辺は、一ヘテロ人間としてははっきり言って全然分からない世界ではある。まぁ「周りの人との差異で何かしら苦労はあるんやろうなぁ」とか、「政治活動になる程度には居るんだなぁ」「実際にバイセクシャルを自称する方と関わったことはあるけど、異性のバイセクシャルとか『俺にどうせよと?』としか言えないし、バイセクシャルよりもっと尖った触れにくい個性抱えててそれどころじゃなかったし、とはいえカミングアウトにはそれ相応の勇気が必要だったんだろうし、どういう対応が正解だったんだろうなアレ」「真に両性を体験していない中で、自分が抱える感情と多数派が異性に感じているそれとが同質であると認めるにはどうしたらいいんだろうか」「LGBTという集団に属するために丸め込んでしまった各個人それぞれ独自の個性・考え方は無かっただろうか」「アウティングは問題視されてるけど、一方的にカミングアウトされたことで外部に公開できない秘密を押し付けられた状態の中で一人で悩んでしまうこともまた問題だと思っており、問題視する立場を取るなら最低限そこにも気を配ってほしい(声にならない、叫び)」とか勝手に感じている思いは色々あるが、所詮外野の野次である。

自分としては、性的アプローチ見せてこないのであれば、内心LGBTだろうが何だろうが女友達同様に、その属性はどうでもいいっすね、と思えるような位置づけにはなっている。LGBTを知ったかなり早い段階で「相手が万が一に性的少数者だった場合どうするのか」というシミュレーションはしており、それもこの定義に影響しているのかもしれない。

一方、「こういう独特な考えに至っている『私』も何かしらの性的少数者なんじゃないのか」という疑問も生じる。リツイートしている人が何かしらの属性で共感を見せていたこともあり、改めて考えてみようと思う。

改めて書き出せば、肉体性男、性自認男、性対象女、性表現「男らしさを頑張る気は特にないけど別に女になりたいかと言えばそんなことは無い、ただオタク特有の漠然とした二次元美少女化願望は一定有。口調は適当なので猛虎弁とかネットミームに混じって『だわね』みたいなオカマ口調っぽいものが出てくることはある」、という一般的な痛いオタクである。

アセクシャル(他者に性的欲求が向かない)・ノンセクシャル(他者に性的欲求・恋愛感情が向かない)ではない。表向き表明しないだけで全然スケベ、むっつりスケベである。ただAVよりはイラスト・エロ漫画派ではある。でも別にフィクトセクシャルまでは行かないくらいのゆる~い奴である。あと童貞である。現実のセックスに伴う諸々のリスクを過大評価しているところがあり、おそらく一般男性ならセックスに至っていたはずの場面を数度見送っている。至っていそうな場面を複数回経験したせいでノルマを達成したような気持ちになり、なんかもう現実はこれでいいかと満足してしまった。

アロマンティック(他者に恋愛感情を抱かない)・デミロマンティック(信頼関係から恋愛感情を抱く)・パンロマンティック(男女関係なく恋愛感情を抱く)辺りでもない。その辺の女性に一方的に恋?も全然する。彼女が居たこともある。ただ、「俺から好かれても困るだろう」「恋愛めんどくせぇな・向いてねぇな」の感情はあり、意識的にその手の感情を拒んでいるところはある。

恐らく、「対人関係において理性ベースで行動している。一方的な心配事によって処理が複雑化し、消費コストが異様に高く、それ故に色々面倒くさくなって肝心の出力が適当・億劫になっている」「二次元の方が全然興奮するし、三次元の恋愛関係・肉体関係を意識的に拒んでいる節があるので女友達への耐性が強い」「いわゆる性的少数者ではない。単純に独特な思考回路の少数派であるか、言わないだけで似たようなことを考えている人はそれなりにいる」あたりが自分を説明する状況だろうと思う。

正直「アロマンティックとかデミロマンティックとかこんな細かいことにまで用語つけたってしょうがないし(なんか用語の定義が歴史的不自由さを持っているような使い勝手の悪さがある。あと、こんだけいろいろあって後天的な自分の状態を説明するところには無さそうだし)、いちいち他人に理解してもらうのとか面倒だし、各々勝手に腹の底で考えてればそれでいいのでは」とは思ってしまうが、とはいえこういう所で悩む人がいてそれゆえの命名なのだろうなぁと、思いを馳せるなどした。

自分の定義への異議に関して

いくらか「よくわからない」という反応を見つけた。同意で承認欲求を満たすにしろ否定で異なる思考回路を得るにしろ、書いた甲斐がある。

前提として、そもそもこれは「男女の友情が成立するか」という話題のために用意した考えではない

定義が迂遠なのは、相手が内心何を考えていようが、それを無視するためである。元々相手が自分をどう考えているのか分からないのに、勝手に友達ですと言い張ることに対して抵抗があり、それを解消するアプローチとして「相手の内心に寄らず、とりあえず友達になろうとしているなら友達なのだ」と言い張れるようにするための定義として持ちだしたのがこれである。

この定義のいいところとして、所謂友情よりも広めにあるので、漠然と友達と見做せる人が増える。友達を増やしたいのならば友達の定義を変えればいい。

今回はそれを持ち寄ってそういう話題に殴り込みしただけである。(だから相手側は性的好意を寄せているというようなプラス方向の感情よりも、嫌っている、ウザがっている、あたりのマイナス方向の感情を中心とした想定が多かった。)

この定義や自分の議論からは、所謂「男女で友情が成立するか」に対する解答、つまり異性との関わり方に対するセオリーのようなものは出てこない。「お互いが友情のようなものを振舞っている限り、それは友情と見做そう」という紳士協定のようなものを提示しているに過ぎない。

「いいやそれは友情とはみなせない」という人もいるのだろう。別にそれでいいと思う。飲み込んでいる不愉快も少なくないので、皆がこうあるべきとは言わない。自分の考えは結局「友人関係であろうとすること、裏にどういう考えがあるにせよそうありたいという振舞いが双方から向いていることが貴い」という考えに根差しているので、ここに共感できるかが肝であると思う。

【追記2】2025/01/04 15:00

おかげさまで前例が無いほどに閲覧してもらっている。ありがとうございます。比較的肯定的な読み取られ方をしているが、自分の言いたい事と伝わっていることが違うかもしれない、という不安を覚えたので改めて記述する。いよいよ追記の方が多くなっているが、思ったことを無計画に吐き出しているだけなので、許してほしい。

「男女の友情が成立するか」

そもそも何だこの設問は~という気持ちはあるものの、改めて一般論として答えると「成立はし得るだろうが、無条件に成立するもんじゃねぇぞ。男女なんてしがらみが山ほどあるし、お前が友情と思っているものが本当にお前の思う友情かも分からねぇぞ(だから割り切りや相互、特に自分側からの歩み寄りが必要だぞ)(そういう中で成り立たせようとするのは、とても貴いと思う)」という、どちらかといえば賛成よりも否定的立場に近いものだと思う。一切存在しないという人に比べれば賛成側なのだろうが。

だいたい自分のこれは一般的な男性が普遍的に持つ感覚ではないと思うので、安直に一般化するのは危険と思う。

友達の定義

そもそも「友情」の定義をせずにこの話を始めている。その点に引っかかるところがあったかもしれない。自分的には内心をすり合わせてもしょうがない派なので、あまり気にしてはおらず、「いわゆる友情」を詰めてもしょうがないと思ったのだが。

とはいえ自分は「相互に大切に思い仲よくしようと思う心」ぐらいのゆる~~い感覚しかもっていない。「親愛・信頼・尊重」etcあるだろうが、まぁそうだね~って範囲で、そんなに語る面白みも無さそうだ。ただ、この定義の限り恋愛感情と友情はそう大差が無いのである。男女の友情が成立するかなんてのも、この辺の各々の定義の違いでしかなさそう、というのはその通りかもしれない。

@blackapple
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