批判対象を露悪的に表現するのを風刺と呼ぶのをやめてくれ

ぶらーぽ
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公開:2024/7/28

しずかなインターネットでお気持ち表明を始めてみて気づいたこと

アニメや漫画を見てブチギレを起こす度に、しずかなインターネットに書き込んで自分のいら立ちを鎮める日々が続いている。たかが創作を見ているだけでブチ切れる自分の精神状態も怪しいが、まぁ確かに不満に思っているのは事実なのだ。

最近自分のブチギレの基準が分かってきた。だいたい①言及されると普通にムカつく地雷話題であること周辺で確認できる感想が自分と正反対に乖離していること、この二つだ。こんなもの絶賛しちゃいかんでしょうよ、という気持ちが先走る。

ただちょっと懸念はあって、自分には、気に入らなくても見れる限りは読み続けてから切るか決めようとする性質がある。すると、賛否両論ある作品では、「否」側は序盤に逃げているため、比較的「賛」しか残らない。すると上記②が発生しやすくなる。さっさと興味失せて黙ってればいいものを、我ながらはた迷惑だと感じる。

今回の作品について

というわけで、今回ブチギレ……という程ではないがなんだかなぁと思ったのはBIG FACE(ジャンプラ)である

インディーズの表紙の、なんだか不気味な絵柄に惹かれてこの作品を開いた。

……最初は露悪的な登場人物が出てきて、嫌な感じだなぁとかなんというか、その程度だったんだけど、途中で作者の性格が悪い、というか、単純に拙いというか、とにかく問題の回がでてくる。

この作品の概要としては「頭部が肥大化する詳細不明の謎の病が存在し、前触れもなく突然発症する。現状対処法は爆殺のみ。事態対応する特殊人災処理班の、快楽殺人者みたいな絶対殺すウーマン八尺と、治療法を模索し続ける黒影の対決」である。

八尺のキャラはインターネットの八尺様とか殺戮刑事とかなんかそういうの擦ってるの見ながら考えたんか?の割にはただただ不快だけど……という感じではあるがそれは置いておいて、問題は13話~15話になる。

無職42歳キモデブ漫画化ワナビーニート、貧困生活で親はパンの耳しか食べれず、Webコメント欄開始1分にアンチコメを書き、VTuberに粘着し、アイドルにガチ恋し、熱愛報道が出たらアンチコメをしている男、牛久千尋が現れる。

予想通り牛久千尋頭部が肥大化、八尺が来て対応。「治療法があるって言うから連絡したのに」「一緒に最期を迎えさせてくれ」みたいな感じのやり取りはあったけど爆殺。親2名は息子の小さいころを思い返し懐かしみ「育て方が悪かったのかな」と思い悩んだりもしたけどなんだかんだ幸せそうに暮らす。「歪み無い愛情を注いで育てても、勝手に腐る奴は腐るし、クズ息子のために最期を一緒に迎えるまではねぇぜ。あそこで共に死んでたら今の幸せは無いだろう。八尺はどこまで考えてたかは知らないがな」みたいな感じの締めである。

まぁこの展開自体は個人的に不愉快だが作者はこういうの描く人なんだってひとまず飲み込もう。

問題はこれのコメント欄に「社会風刺が面白い」とかそういうコメントが並んでいることだ。

社会風刺ってそもそもさ

そもそも俺は人生で「上手い風刺だね」って感じた物が殆ど無い。今まであったかもしれないが、少なくとも今パッと浮かばない程度には無い。だいたい風刺と持てはやされているものが「物事を馬鹿にした不遜な態度」としか見えてない。基本的に風刺自体が嫌いではある。昨今「冷笑」は叩かれているが、風刺も性質自体は大して変わらないだろうと感じている。一応「風刺には社会的目的意識があるが冷笑はまじで何でも嘲る」という擁護?も見かけるが、「目的が手段を正当化しない」のが現代の主流なのだから、これはあまり響かない。

ただ、そういうのは置いといて、いわゆる風刺表現というものがあって一定の層にウケているのは理解できる。できるが。

風刺って言うのは、どこの辞書にも「遠回しに批判することです」って書いてあるんよね。それを見て、比喩表現や迂遠な表現も交えつつ、みなまで言わずとも自分で気づかせるようなものだと自分は理解している。

じゃあ、ありのままに不愉快な人間を描いてる今回のこれのどこが風刺なんですかってあの辺のコメントにいいねした数百人に問いたい。

今回のこれは、こういう奴がいるのは事実だろうけど、ムカつく悪い奴をムカつくぜ!って描いてムカつかせてるだけ、そいつらが死んですっきり。何の示唆もない……あれは風刺じゃなくて憂さ晴らしではないか

弱者・バカいじりは風刺になり得るの?

そもそもああいう人生うまく行ってないクズ系の人間は弱者側というか、人として批難程度ならともかく風刺するような対象ではなくないですか?

例えば政治家とか権力者とか、風刺を見て理解できる素養のあると期待される上級階層の人間に向ける皮肉として風刺があるんじゃないっすか。

皮肉って権力者とかだから辛うじて笑いで済んでるけど、同格以下に向けたら一気に醜悪さが目立つ。

よく、なんで風刺芸はウケないのかっていう話題が有りますけど、そもそもやってることが毒舌芸の親戚なんですよね。自嘲的な態度とか弁えを忘れて「自分は正しい側です」みたいな態度でやられたら、こっちに牙向いた途端に腹立ちますって。

そのくせ自分が叩きたい物と同じ方向向いてたら楽しく一緒に乗っかるじゃないですか。でもそれはもう、ただ「これは風刺だからセーフ」と都合よくラッピングしただけで、ただの攻撃性ですよね。いじめや誹謗中傷と大差ない。

風刺ってなんとなく知的な営みとして扱われているけど、こういうただ攻撃性を都合よくラッピングしただけの芸を、個人的に知的な営みと思うことができない。

風刺を分かる人や共感できる人同士でニヤニヤやってせせら笑うのは、高知能階層の娯楽なのかもしれんけど、傍から見ていじめと大して変わらなくないか。というのが昨今風刺と呼ばれている何かに対して感じる不愉快さである。

ネガティブ・ハロー効果と公正世界仮説

今作の描写について言えば、「コメント欄っを碌に読まずクソコメを書いてストレスを発散する性格の悪い奴」がどんな造形をしているのか、本来我々は知る由も無いはずである。もしかしたら仕事に疲れたサラリーマン・キャリアウーマンかもしれない、家庭に疲れた主婦かもしれない。暇を持て余した老人かもしれない。けれど、まぁなんか臭くてキモいデブみたいな他でも屑なことしてる奴がやってたら嬉しいなぁみたいな想いを皆抱えているというか、あるあると言ってしまう。なんとなく不愉快な人間にそういうのを押し付ける節があるじゃないですか。

悪いことしてる人はルックスも悪いだろうし人生もうまく行っていないだろう、みたいな思い込み(ネガティブ・ハロー効果(の逆?))、またはそうであってほしいという願い(公正世界仮説)。

あれを見て「リアル」とか言ってしまう人が大量にいること、なんかそういうバイアスがおもっきし透けて見えて、しんどかった。

なんかこういう構造も込みで風刺でもしたらなんかにはなったんじゃないのって思うけど、この作品にそういう厚みは期待できそうになかった。

この作品の中で0秒コメントを揶揄する意味

そもそもこの作品は最初から賛否両論側の作品である。そういう立場の作品が、作中でコメントユーザー側を揶揄しに行く構造自体に白けているところはある。

これを「作者は読者様の言うこと黙って聞いてろよ」と捉えられると困るのだよね。「作者は黙ってるだけで勝ちなのになんで降りて来ちゃうかなぁ」が近い。Twitter上で有名人が突然レスバに変な角度で参戦してきたような緊張感に近い。

勿論やりたくなる気持ちは分からんでもないけど、じゃあ俺が冷める気持ちも分かってくれよ。仕方ないだろ冷めちゃうんだから。

勿論応援コメントは応援を書き込む場所ではある、見てるこっちがオイオイとなる物も事実ある。碌に作品も読んでない奴がしょうもないコメントを残していくのも事実ある。ただ実際作品が拙くて批判コメントが飛ぶことはあるわけで。それに反応してしまうのは一気に冷めてしまう。作者って閲覧者とは元々別の存在じゃないですか。作者さんはのびのびと自分の表現を突き進んでほしいなと思いますよ。

今回揶揄したのは0秒コメだけじゃねってのはあるけど、銃口自体は似たような方向に向けてるしなぁってところで。

とはいえ

八尺と言う狂気人間が繰り返す凶行について、勝手に凡人が「こういう意味があるのではないか」と意味を見出している様子はどこか滑稽である。後出しで何か出るかもしれないが、少なくともここまでの範囲で見る限り、そんな考えがあるような人間には微塵も思えない。

「でも実はいい人なのかも」と期待してしまう、根っからの悪人であってほしくないというその振舞には公正世界仮説を感じて少し面白かったです。

インターネット露悪冷笑マン

昨今Twitter(現X)はなんかネチネチと露悪的な言い方を強調して特定の属性の人を攻撃するのが流行ってるじゃないですか。それ自体前からあったのかもしれないけど、下手なのか、攻撃性だけがえらく高くなっている物をよく見かけます。

俺もこういう文章書いてるときは半分腹立ってるから攻撃的な言い回しになってると思うんだけど、それでもあのレベルには届かせられない。

あれの持つだろう娯楽性が、風刺芸とかの慣れの果てとかなり形が近いなぁと感じており、ずっと不愉快でしょうがなかった。ここで言えてよかった

@blackapple
Twitter(現𝕏):@T_BlackApple