3月

りせ
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3/1

もう3月なんて早い。フランシス・ハーディングの呪いを解く者のきらきらした部分が絶妙に合わなくてかなしい。ネトルの立ち振る舞いとか言葉の節々にいちいち引っかかって勝手にもやもやして、他作品ほどすらすらと読み進められない。「この痛みと傷を抱えているわたしたちは特別」って考え方が透けて見えて、都合の悪いところからは目を背けて自分と自分の周りに酔っているひとたちと重なるからかな。今までの主人公とその周りがみんな性格悪かったからかもしれない。今回性格が悪いのは主人公のケレンで、ネトルは呪われた経験がある分浮世離れしているというか、ケレンの分も冷静な相棒のような女の子。でも、自分の暗い面とも向き合って立ち直ってる他の女性に嫉妬している面もあるし、冷静とは言い難いのかな。結局、わたしの人生も性格もどこまでもわたしだけのものであって、全てを肯定して慰めてくれる妖精さんなんて存在しないんだよ〜!!お兄さん離れしなきゃ!!!いつまでも呪われて辛い可哀想な自分でいないで!!!と、本の中に叫びたい。

3/2

お世話になっているフォロワーのMさんの鑑定を受けよう受けないで先延ばしにしていたらもう年が明け、季節さえ変わってしまっていた。先延ばしにしていたのはきちんと理由があって、全く何も知らないまっさらな状態で文章を貰うよりも、ある程度の知識を備えてから貰って、同じ事象の抽出の仕方の違いとか言葉選びについて考えた方が楽しいんじゃないか、と考えたから。(Mさんはとってもきれいで、いい意味で冷めた文章を書くひとなので、そのひとが自分に向けた文章を書いてくれるサービスならぜひお願いしたい!と思っている)知識を増やしたい。興味がないわけじゃないし、勉強してみたい。でもわたしはとても甘えんぼうなので知識が増えることで、ものの見方が狭くなる懸念がある。自分で考えたりひとを理解したりする前に「わたしは〜だから」「このひとは〜だから」と、何もかも星や概念のせいにしてしまいそうな気がする。そのほかにも不安なところがあって、大学時代に一部いた、きらきらした選民思想の女の子とは同じになりたくないな、とも思う。大学時代は宗教について学んだ。(日本人にとって馴染み深くて、すぐパワースポットと騒がれる宗教)わたしの出自を明かしていない子に「あなたが神様にどう思われようと知らないけどね!」と言われたことがある。あえて言わない、肯定も否定もしない、のらりくらりとした態度が彼女の神経に触ってしまったのだろうし、彼女は決して嫌な人間ではなかったけれど、「あなたはわたしと違って目覚めてないし選ばれてない」と遠回しに言われたのが嫌だった。ショック、と言うより、このわたしに向かって何を言ってるの?と腹が立った。言葉にするのも曖昧で、じょうずに言葉にできたとしても相手に想定通りに伝わるかわからない概念。ある種の嘲笑や選民思想や他責思考が見え隠れする宗教やスピリチュアルという言葉。だから、さあ勉強するぞ!と思ってもなかなか1歩を踏み出せずにいる。もしかしたら興味があり勉強している、と表に出すことによって、周りから見られる目が変わるかもしれない。同じように言葉にできないものに惹かれているひとたちが、大学時代の彼女みたいだったら、と思うと少し恐怖もある。知ることが怖いだなんて、贅沢な悩みだ。でも、知ってみたいなと思って数年は経つし、もうそろそろいいんじゃないかな、とも思う。どうしましょうね。

3/3

桜もちと道明寺の6個セットをおやつに食べ、ちらし寿司の代わりにAの手作りカレーを食べた。美味しかった。ずっとお母さんの手伝いをしてたから料理上手なんだって。勉強以外のことをしてこなかったなって、こういう時に気づかされる。

3/4

20日半ほど無職になるかもしれない。どうしよう。短期バイトに出るのもいいし、文章売って稼ぐのもいいかもしれない。今まで我慢してた仲間大会も出まくりたいよね。3/9のチラチーノ1on1は出たいなあ!チラチーノって、スキルリンクよりもいかさまダイス持たせてテクニシャンにしたほうが火力出るんでしたっけ?でも、殴り合いになるとゴツゴツメット持たせた方が強い?スカーフ持たせて先に殴るべき?わかんない。持ち物自由度高いスキルリンクの方が強そうに見えるけど、どっちがいいのかな。20日間なら長編読むいい機会でもあるわけで、プルーストの『失われた時をもとめて』でも読もうかな。それとも断念したブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』?断念したのは世界観(というより宗教観?)についていけなくて、ファウスト読んでからにしようかと思ったからで……それならファウストを読むべきでしょうか?

3/5

どこもかしこも苦痛に満ちている。だがそれもじきに終わる。おれが影の奥深くに入ってしまえば。安らぎは、月のきらめきから遠いところにあるのだろう。もしかしたら、許しすらも。

フランシス・ハーディング

『呪いを解く者』東京創元社

頁165 16ペール・マロウ

なんか好きだったので引用。立派できれいな言説とは本当に縁遠い自分にがっかりする。だからこそ他人の見せかけだけの美しさが許せなくて、こんなことに思い悩むくらいなら夜に吸い込まれるようにして消えていきたいって思うの。最初は酷評してしまったけれど、やっぱりこれも面白い。この世界観から離れられない。ひとつひとつが絵になる幻想文学が好きだ。ジェフリー・フォードの白い果実でも読み直そうか。白い果実だけは山尾悠子氏の文体が味わえるのでそこも含めてかなり贅沢だと思う。

3/7

自分の意見であるはずなのに、「わたしは構わないけど他の人が困るから」って書き出すひとが嫌い。ただ黙って書けばいい。他人の機嫌を損なうのを気にするくらいならはじめから何も言わなきゃいいと思う。こんなことにイライラしたって仕方ないのにイライラする。数年前は主婦とか〇児のママって書いてあるのを見ただけでこのひととは繋がりたくないって避けていたけれど、家庭を築いて子供を授かっていない方がおかしいと言われるような年齢が近づいてきている。自分の人生は自分のものであるはずなのに、他人を基軸にしないといけなくなるなんて社会的動物に自我は不要だったんじゃないか。

3/9

ほんとうのことを言うのと言わないの、どっちが本当の親切で優しさなんだろうね、みたいな話をしていた。見えているのならはっきり言うべきだと思う。ひとが傷つくことを言ってはいけません。でも、はだかの王様にはだかだと言わない方がよっぽど不親切だ。『何もしていないあなたは素晴らしくなんてないし、きれいなはずがない。一生懸命にやっているひとを冷笑する元気だけはあるんですね。あんな顔で平気で生きてるような集団に褒められて自分が可愛いって本気で勘違いして、馬鹿なんじゃないの?』『でもあなただって嘘をついている。あなたはもう女の子なんかじゃない。女のひとになってしまったって、いつ認めるの?』そんなやりとりをしたあとに目が覚めた。10年間いっさい身長は伸びていない。それなのにすっかり女のからだになってしまった。せめて心だけは女の子で、少女でいたい。彼女を追って見つめる鏡にうつった大人の女のひとがきみも馬鹿だねと笑っている。

3/10

「あなたが憎かったし、あなたを憎む自分が憎かった。自分のほうがおかしい、不当なことをいっているとわかっていたから。でもある日、不当でいいんじゃないかと思った。そもそも世の中顔あたしに不当なことばかりしてきたんだし、これからもそうなんだから。そう思えたらすごくほっとして、呪いを育てていった。もう呪いの卵は、秘密の苦しみではなくなった。秘密の力だと感じられるようになった」

フランシス・ハーディング

『呪いを解く者』 東京創元社

頁439 45 ハーディガーディの風

わたしに何を望んでいるのかわかっていない。炎のなかで死んでほしい。自分と同じくらいわたしも悪者なんだとたしかめたい。そうすれば、自分が劣っていると思わなくてすむから。同志がほしい、ひとりぼっちでいなくてすむように。

同上 頁444 46 絹の罠

『呪いを解く者』読了。いちばん共感したのがタンジーで、ネトルのことは最後まで好きになれなかった。おとなしいひとってずるいんだよ。先に体を張って行動を起こしているひとを冷めた目で見ているだけなのに、それで得た経験と知識がいざ重たい腰をあげて行動した時に味方になってくれるんだもの。どうしようもないくらい卑怯だしずるい。何か都合の悪いことを言われたら、傷ついた子供に戻って彼女に迫ったひとを責めるような振る舞いをして周りに助けてもらうんだろう。タンジーとネトルの違いはなんなんだろう、助けてくれるきょうだいの有無?それならタンジーの方が周りに恵まれているように見えたのに。本人の心の持ち方の違いならなんて悲しいことだろう。10日かけて読んだ本の感想の半数がヒロインの悪口だなんて、まったく生きるのに向いてない。でも、ところどころは絵になってよかった。ヒロインのお兄ちゃんが首輪かけられて市場に売られてるのを発見するところとか、妙になまめかしいよね。(寝落ちて中途半端なままになってた)

3/13

目に見えるもののすべてが美しくあってほしい。ほしい、というより当然美しくあるべき、美しくなければ許されないわけで、そうして見て読んで知り得たものに自分はふさわしくないと実感する時、生きてて苦しいなって思う。こうしている間にも刻一刻と消費していく若さ、その魅力と副産物。受け入れられないならずっと女の子のままでいればいい。女の子として文章を書けばいい。でもそうして書いた言葉は全てにせものに見える。文章の中のわたしと現実の私が一致しなければいけないって言い出したのは誰なの。今更ぼくは、なんて書き出しで文章書いたって白々しいんだよ。

「そんなこと、俺に、わざわざ言うまでもないよ。俺はおまえが、昼休憩のときに、船の中で本を読んでいるのを見てきた。夜遅く町をさまよい歩いているのも見たことがある。おまえが深いところに行くには、舟は要らないんだな」

ジェフリー・フォード

最後の三角形 東京創元社

頁195 トレンティーノさんの息子

ここじゃないどこかに行きたい、という意味での「ここ」って、もしかして自分の中の深いところのこと?似たようなことを高橋たか子が『亡命者』で書いていたような気がする。

「自殺なさるんですか」と、私の住んでいた小山の多い住宅街で、そんな小山に沿った道を歩いていて、或る男が私に言った。「いいえ」と、きっぱり私は言い、すこし笑った。「そんな感じがするなあ、あなたって、自殺するんでしょ」「いいえ。でも、どうして?」私は訊ね返す。「さっき、あんなことをおっしゃったからかな」「何か、言いました?たのしいお喋りをしていたのではなかったかしら」「今を、思い出す、とか」「そう言いましたわね、私って、もう死んでいて、今こうしてここに生きてることを思い出してるのだって。今こうしてここに生きているのではなく、これを、すでに死んでいる私が思い出してる、という印象を、私はどうしても払いのけることができないのよ」「そんな変なこと言う人、誰もありませんからね。まともな頭で言えば、あなたは先どりして今を見ておられるんだ」冬枯れした山肌のすすきや雑草の白っぽい色に、冬の終りの明るい日射しが天空からいっせいに降ってきている、と感じられる、人気のない道である。「何人かの人に言われたことはあります、私が自殺するんではないか、と」「そうでしょ、そうでしょ、それがあなたから匂ってくるんです」私より数年、年上の、その男は、別に深刻な話題としてでなく、夢想の領分に属するようなこととして、それにこだわっている。「どうもありがとう。でも、間違ってる。私はそうではありません。自殺なんて、もう若い頃に通り越してしまっています。とんでもない、今さら」「そう、若い頃、ぼくらの環境では、ぽつりぽつりそういう奴らがあったなあ」何年か前の、そんな会話を、思い出し磨き出していると、先程からのうつらうつらが潮を引くように引いていて、ある亡命者の夢も臨在感がなくなっていき、そうして私は醒めに醒めて呟いてみた。私って、或る年齢以来、自分の内部へ内部へ降りるようになったのだわ。死んでいるのに近い深さへ。

高橋たか子 『亡命者』講談社

頁50

そうしてたどり着いた先が宗教ならあまりにも救いがない。

3/14

〇八方美人なことを書く場所としてnoteを作った。きちんと使えるかどうかはわからない。二十四節気くらいの頻度で書けたらいいな、くらいの腹積もり。〇引用して誰かを攻撃するポストをさらに引用して、誰かをポストで見つけたある文言がずっと頭から離れずにいる。『アラサーは自分とその周りが常に正しいと思ってる。価値観のアップデートができていない』だそうだ。思い当たる節しかないよ。○大人になんてならずに、ずっと少女のままでいたい。文章の中でならいつだって少女になれる。でも少女という言葉が既に過剰であり、純粋な言葉ではない。○しずかなインターネットを読み漁って、偶然誕生日が同じひとのブログにたどり着いた。どうやら彼女には思いをこめたあだ名で呼ぶ好きなひとがいるらしく、後ろから囲い込むかたちの愛情を向けているようだった。恋愛なんて突き詰めれば欲でしかない陳腐なものなのに、わざわざ小難しい言葉を使って逃げ道を作ってばかみたい。正々堂々と好きだと認めることで、相手の眼中にもない自分を受け入れるのがいやなだけじゃないの。