友人たちから、あなたの書いた文章を読みたい、と言ってもらえることがある。うれしい話だ。
期待されているものは小説の類いであって、こんな書き散らしではないだろうことは承知の上で、リハビリがてらなんか書いてみようかなの気持ちになったのでアカウントをとった。飽きるまでよろしくね、しずかなインターネット。秒で飽きたらごめんね、しずかなインターネット。
さて、書くったって何書こう?
近況とか日記みたいなものは書きたくない(書けるような生活がない)ので、おもったこと、とか、かんがえたこと、の書き散らしをしていくしかないんだけど。うーん、そうだな……
もう長いことずっと、好きが嫌いだ。
苦手だ、の方が正しいかな。怖いでもいい。
嫌いも苦手も盛りだくさんあるんだから、そうでないもの、その中で特に気に入ってるものを選べばいいんじゃん?て話なのだけれど、この、選ぶという作業それ自体にも結構な苦痛を感じる。外食先でメニューを選ぶのも割と苦手だ。人と被ると変えちゃいたくなるし。
私が選んだことでたち消える選択肢が嫌なのか、何かと比べて何かを良いとジャッジする自分が嫌なのか、ていうか自分のことが嫌なんだけど。要は自分のこと信頼してないから自分の好きにも価値を見い出せないのである。ごめんね、私なんかが好きになっちゃって、好きとか言って、の気持ちがいつも消えない。
何かを好きな人の方が多い世の中だろう。推し活という概念が広がって、好きって言葉が今まで以上に軽くてカジュアルな言葉になったのを感じている。
そんな誰かの好きを、別に嘘だとは思わない。劣っているとも悪いとも思わない。いいと思う。その人の中に動く心があって、動かした対象があって、感情が生まれた瞬間がある。とても素敵なことだ。
……私の中にだって、本当はあるんだろう。ぽこぽこと浮かんでは消える泡沫のような好きが。書けることがない生活の中でも、心はちゃんと動いている。
だから、いつか。好きなものは好き、と胸を張って言える日が来たらいい。自分の好きをまっすぐ信じられる自分になれたらいい。いや、そんな肩肘張った感じじゃなく、なんかもっとこう気楽な……「いいね」って、飾らず言える私でいたいなって、思う。
これはそんな私になるためのリハビリ。素直に自分をさらすための、自分の気持ちを見つめるための練習だ。
幸いにして時間はあるし、綴る力もそこまで衰えてはなさそうだし。書けるところまで書いてみましょうか。