好奇心ドリブンに敬意を込めて

bonychops
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先に書いておきます。この駄文は普段と違って読み直しをしていないため、文章の何から何までぐちゃぐちゃです。あまり真に受けないでくださいね。

自分はタスクを優先度付きキューで解消しており、昔はその優先度が完全に「自身の興味/やりたいこと」で決まっていた。

今の自分は、こういった好奇心ドリブンな生き方をしたからだと思っている。持っている話題のレンジは限りなく狭いが、そのレンジ内の話であれば驚くほど深く話せる。こういう自分は好きだ。

大学に入ってから、自分は社会性を得た。今でこそ社会性って何だよと思うけど、自分なりに解釈をすると、その一つに「優先度付きキューの優先度を『やるべきこと』に定めること」が挙げられる。これを聞いて「当たり前だろ」と思う人がいると思う。むしろそのほうが多いかも?

自分は今時分のアイデンティティを失いかけている気がする。だがそんなにつらくはない。社会性ある行動のほうが、楽なのだ。実は自分の興味あることをやり続けるほうがつらい。今の社会では、多分。そういった意味では、自分の好きなことを頑張り続けるって本当にすごいんだな、と思う。そういった人をとても尊敬する。過去の自分を含めて。

「好きなことするのが一番いいじゃん」という人がいる。過去の自分もそう。現実、それをするのは本当にエネルギーがいる。彼らはものすごくエネルギッシュである。それを自覚している人としていない人両方いるけど。彼らにとっては、おそらく現状維持という言葉が怖い。自分がそうだった。気づかないうちに「止まってはいけない」という強迫観念的な部分があるんだと思う。だが、それは成果として素晴らしいものを生むから人々は称賛する。彼らは時間、身体、心を犠牲にしながら。

自分は今、アイデンティティを失いかけている。だが、多分他の人から見てそうか?という人もいると思う。実際周りからの評価は、自分と思っているものと乖離がある。もし強迫観念的、特にそれが他者からの評価が軸となっているものがあるとするなら、他の人からの評価なんてそんなもんであるということを知ってほしい。

何者かになるなんて本当に難しい。本当に。だが、自分の人生を満足させるのは思っているより簡単かもしれない。別に他者からどう評価されようと、自分の絶対的な価値は変わらない。多分。最近「生きているだけでえらい」の意味がなんとなくわかった。