ディズニー映画の“素うどん”としての『ウィッシュ』、という仮説

boshios
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・別に「ディズニープリンセスものの功罪」的な話をしたいわけではないです。

・ディズニーの新作『ウィッシュ』を観てきました。本国での興行収入的な、数字の話題が先行していましたが、なかなかウェルメイドな作品だったと思います。

・作品としては、これまでのディズニー映画のオマージュとそのモチーフを取り込んで進行する、ディズニーの自己言及的な映画。自分は「そこそこディズニー作品に触れてきている」レベルだけど、知っている人が観たらそれはそれは気づくところが多いんだと思う。

・要するに、ディズニーのファンに向けたラブレターみたいな映画。ファンの妻は大満足、鑑賞後に「あれもこれも」といろいろ教えてくれました。

・自分としては批評家の評価をどうしても考えてしまうんだけど、これは世界中のディズニーファンに向けて作られた作品なのだと考えると、そもそも「映画」という土俵で良し悪しを考えるべきではないんだと思う。

・「これが存在していることが大切」な映画であって、制作側もこの映画が馬鹿みたいにヒットするとも思っていないし、批評家にウケるとも思ってないんじゃないかな。

・とはいえ、「ファンに向けて作られている」作品であるものの、不思議と閉じられている印象はない。とてもプレーンなメッセージをプレーンな物語でパッケージした作品だな、と思った。忌憚のない言い方をすると、「とてもディズニーっぽい映画」。

・しかしよくよく考えたら、最近しばらく「ディズニーっぽい映画」って観てねえな。「アナ雪」も変化球だったし、アナ雪だって10年前だし。

・もっとよく考えたら、今現在の小学生くらいの世代って「ディズニーによる、ディズニーっぽい映画」をあまり観ていない世代なのかもしれない。

・少し前のディズニー作品は、自社作品の功罪を意識して、例えば「プリンセス映画っぽいけど、ちょっと違う作品」とか「ディズニー的なメッセージをひっくり返す作品」をたくさん作っていた印象だったのですが。

・もちろん、その過程で生まれた名作もたくさんある一方で、「ある文脈を意識したうえで、カウンターを打つ」作品を量産した結果、「王道がすっぽ抜ける」みたいな状況になってしまっていたのかもしれない。

・つまり、おれたちはうどん屋にいってカレーとか天ぷらばっかり食べている状況だったのだ。

・なので、ディズニー100周年を迎えて「今後のスタンダードになる女性主人公の映画」として、新しい『ウィッシュ』を作ったのかなー、とか、思った。

・つまり、『ウィッシュ』=100周年を迎えた、現在のディズニーによる「素うどん」。

・今後はこれをベースにして、天ぷら乗せたり、だしを変えたりしていろいろな作品ができていくんだろうなー、という感想。これを観た子どもたちが新しいディズニーファンになるんだろうなあ。

・最後に。ヴァレンティノ(劇中に出てくるヤギ)の日本語吹き替え版キャストが山寺宏一さんであることに、映画を見る前は「また山ちゃんなんだ〜」と思ったんですが。

・「ディズニー的なモチーフをたくさん集めた」映画である『ウィッシュ』という特性を考えたとき、ファンの立場になってよく考えたら「山寺宏一の声」も「ディズニーの思い出」のひとつなんですよね。

・なので、「ディズニー映画の走馬灯」としてこの役は山ちゃん以外いなかったと思います。逆に、こんな経験ができるのは日本のファンだけかもしれない。