生活の利便性と美を見た日に限ってメガ割で買い物を

nitsuke
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公開:2024/9/3

おはこんばんちは、ニツケです。

先日富山県立美術館で開催していた民藝展に行きました。ドゾ!

こう見えて(どう見えて?)経済学系の学部にいながら、民藝運動及び美術とセラピー的社会支援に関することを大学の時は研究していたのでせっかくならばと足を運びました。

(クマグッズの持ち寄り、着用で割引がきくのでチャットモンチーのちゃんくまの缶バッジを持参しました。)

富山県立美術館・民藝展のポスターとそのチケット

柳宗悦を中心に日本や世界からコレクションした生活の中にある民芸品、皿や壷を始め家具や着物などなどを展示。

「帰りのタクシー代より安かった骨董屋で見つけた大きな皿」がいまこうして飾られていたり、己が死んでから認められるってざっくり言うと悲しいし、怖いね。とも感じた。

その中でも2つ印象に残った壷がある。

1つ目は漆黒の信楽焼。

「持ち帰ったその日に、仲間(名前を失念…)の家に持っていき愛でて語り合った。」というキャプションがついており、おたくっていつの時代もおたくなんだなと親近感が湧いた。

2つ目は「せんべい」と書かれたどう見ても煎餅屋さんで醤油を浸けていたであろう壷である。

これもどこかの古道具屋で隅にあるのを見つけ店主に「どうしても欲しい!」と何度も通い、頼み続けるも柳自身は亡くなってしまう。その後、仲間たちも「どうかこれをください!」と頼み続けようやく手に入れられたらしい。店主がなぜそこまでして人に売るのを渋ったのかもわからないが、彼らの執念が勝ったエピソードに微笑ましくも思えた。

柳の自宅(現・日本民芸館)の一部で1930年代に展示をした写真があり、美術館内でも写真を元に設営がされていた。

しかし、写真よりも足りない皿や道具もあったので、学芸員に「お尋ねしても…」と質問をした。(監視員だった可能性もあるとご指摘いただきました。)

「当時の写真から再現しきれていないものは個人が所有したり、時期的に関東大震災や戦争もあったからですか?」

その人の答えはこうだ。

「すみません。わかりません。」

私は明確な答えが得られなくても、その人が想像したことや考えを聞いてみたくて、話しかけたのに残念だった。し、知っていそうな人につなげてほしい〜と思ったりもした。

途中のベンチに図録があったので、該当のページをめくるも、それ以上の解説はなかった。

(監視員だった場合には図録以上のことを答えられないルールも場所によってはあるそうです。でも知ってそうな人に繋げてほしかった気持ちもあり…)

その人が展示に関して専門外であったり、自分の研究や運営、生活に多忙であることも適温で静かで座っているから眠たくなってしまうこともわかる。

だが、「あなたはここでイッセイミヤケの制服を着て眠るだけで仕事になるのか?」と、学芸員の資格を取るために入学したのにそのコースが2年に進級した際なくなったことを思い出し、無性に悔しかった。

また、美術鑑賞はスポーツに近いとも感じているため、音のなる靴は気が散るので避けて欲しいなとも感じた。(私が耳栓を持参したら良かったのかも…。)

話し声に関しては「小さめに」の意識があるのかあまり気にはならなかった。

富山の前は都内で開催してたため、こんなにゆっくり見れなかったろうな〜とありがたみも感じたが、今ある民芸の技法を使った作品を用いて現代の部屋を"素敵"に提案した展示もされていた。

その展示ブースと参加は出来なかったがトークイベントを行ったのがBEAMSのバイヤーらしく、そもそもが分かり合えない思想じゃん…と肩をすくめるしかなかった。

代表取締役が銃撃にあった元首相とズブズブの関係だったことは知っている人は知っているだろう。

また、数年前に新進気鋭…の作家にピンク電話の広告風のTシャツを発表し、インターネットで火事が起こり販売停止したの忘れているのか?

その件の割とすぐ後、若手の作家たちの作品を用いたTシャツの販売イベントがあり、傷ついたり怒ったりする当人たちも見た。(ほぼ日も人質だらけになってしまった…。)

今や大人気、絵本大賞殿堂入りの「パンどろぼう」の柴田さんが「自分の目が届く範囲しかグッズは作りたくない」とテレビ番組で話しており、手作りや小ロットで販売していたにも関わらず、ガチャガチャやほぼ日を含めたコラボ商品をみたときはかなりショックを受けた…。

民藝についてから話が逸れてしまったが、アイヌ民族が実際に着用していた着物の穴やほつれがある箇所(裾口が多かった)に「これを着ていた人はどんな生活をしていたのかな…」だとか、八丈島の着物は「こんな鮮やかなカラシ色で通常の8倍も織るのに時間が?!」と驚いたり、美術館巡りとしては充実していたほうだと思う。

柳の民芸品収集のきっかけとなった猪口を子供用の茶碗にしたり、来客時にお茶を出していたのか〜!とか、いま活動を継承している作家が昔から使用してきた竹細工用のすず竹が恐らく異常な気候でこの2年特に枯れてしまったことにショックを受けたり、そうそう手漉きの和紙は日本には六ヶ所しかなく、そのうちのひとつが富山の八尾なんだったな…などなど。

民藝を含む美術に関して学びながらも100円ショップで2年ほどバイトをしたり(いい職場だった)、普段も消耗品はどうしても買い物してしまうが、血の通った物を使うことのありがたみや豊かさと特権性について帰宅してから考え込んでしまった。

また、そのくらい美術、ファッション、思想、生活は絡まっているのだと思い知らされる1日だった。

余談だが、常設の瀧口修造コレクション展もかなり見応えがあり、いつ死ぬか分からないから大切なものにはメモを残しておこう…と思った。(こちらは撮影OK)

「エスキモーのビール」瓶ビールが何かの毛皮をまとっている作品。北欧の祭りに登場する「クケリ」に似ている。
どこかのお土産で購入した「レインボーシュガー」や小さな油差し?が2点。掌に収まるくらい小さい。
「木彫恵比寿」と「木彫大黒」こちらもシルバニアファミリーくらいちいさい。カクカクとしたデフォルメなのにどことなく土偶のような愛らしさもある。
瀧口修造が庭で拾ったカタツムリの貝殻。1cmあるかないかの大きさ。「わが家の庭で収集 かつては宇宙を背負って歩いていた」とキャプションがある。

さすがに小さすぎるカタツムリの殻や友人の画家のご婦人から頂いた葉巻までメモして保管されており、楽しかった。

キャプションが無いものもかなりあったし、展示内容も少しずつ入れ替わっているようなので、常設展も楽しいから見てほしい。

韓国の抽象画やその歴史について知る部屋もあり、ちゃんと外に出よう…と反省もした。

地方の美術館はゆったりと展示を見ることができるので、お出かけの際にあえて観光地ではなくヒュッと入ってみるのをおすすめする。

と、いうわけでした。仕事で心がメコメコだが長文を書けたにっちゃんでした。ご高覧、ありがとうございました。

@brainjolim
短歌とイラストレーションが趣味の厭世生まれの星。