イエローモンキーの再復活を観た。
行けそうな公演へは何度も参加していたが、東京ドームは実は初めてだった。
そして改めて思う。彼らと東京ドームという場所は仲良くなりきれないらしい。
コロナ禍に開催した東京ドーム公演では歓声はご存知の通りNGだった。
観客にシンガロングを求め、「ビューティホ〜!!!!」と褒め千切ってくれる「バラ色の日々」から演奏がスタートしたのは、前回聞くことの叶わなかった歓声が運命のタイマーを回していく、ということなのだろう。
これまでのライブでは山場のひとつとして演奏されてきたこの曲がトップバッターであることをそう受け取った。
私は一見弱々しさが見える作詞が音を持つことで強さに変わる点に励まされ続けている。
公演から1日経って、改めてため息をついている曲は実際に人生の終りを見かけた人の「人生の終り」。
自分のポリープ〜癌となった放射線治療前後の喉の写真、病院で医師と会話する映像、あんなに板の上でギラギラでも無力さに肩を落とすメンバーの3人……。彼らはいつだってどんな形でもショッキングな存在であろうとする。フィクションでもノンフィクションであってもだ。
誰だって人間で、もしかしたら今日明日何か起きて死んでしまうかもしれないことを(原因は違えど)死の淵に追いやられたことのある者としては共感で腰が抜けてしまいそうだった。やっとかっと踏ん張って立つ。画面に映る詩が滲んで読めなくなるのは失礼な気がして同じ態度で聴く姿勢に集中した。
途中で流れたロビンが座ってこちらを見て歌うモノクロのVCRも自分が歌う姿を残したい、歌は人生だと言い切るようなものに感じた。メンバーのコーラスパートで頭を垂れて聴く姿は死んでしまったことを表しているようにも見えたし、ヒーセ、エマ、アニーとまだ一緒にいたいと祈るようでもあった。
卵が孵り、蛹になって、羽が生えて、ツノでいろんなものを触って…また卵が孵り……と一生のうちに何度でも自分に輪廻転生できるバンドなのだ。そんなのはまだ死んで新聞に載るには早い。
あんなにも素直な選曲と今出せる声がどのくらいのものなのかを正直に見せてくれたこと、歓声があることでステージが完成すること。
つまり、観客のこともイエローモンキーのメンバーとして見てくれていることにいつまでも救われるのだと思いしらされた。アルバムが出るからツアーもあるような物言いをしていたが、タイマーの針を早めることだけはどうかどうかしないでほしい。
また、私も準備オーライであり続けられるよう努力したい。
そして最後から数えて二つ目、「JAM」の有名なフレーズ「外国で飛行機が落ちました/ニュースキャスターは嬉しそうに/乗客に日本人はいませんでした」。
開演前に一瞬会えた友人の鞄に付いていたガザへの虐殺に反対する刺繍のパッチ、私の携帯ケースに挟んだ「Free for QUEER Gaza,Palestine,Ukraine」と書いたシールを見て頷きあったことが重なる。
侵略及び虐殺と比較するものでは決してないのだが、2020年、真っ先に大切にしていたものや場所が奪われていったのは私たちだけでなく、彼らもだった。何も他人事ではない。エンタメと政治は背中合わせだ。
「理不尽な攻撃や待遇、差別を受けている人がいることに目を背けるな」
というように聞こえた。勿論、これからそんな人が増えてほしい。そういう明日を待っている。
私の首の鎖を外してくれた鍵のうちのひとつがザイエローモンキーだとまさしく感じた。1曲ずつ書いていたら一層大変な文量になってしまいそうなのでなるべく、圧縮したつもりだがまったくである。
彼らの音が生で体感できなかった5年間の穴に刺すための鍵となる日だった。
きっとこの先も少々乱暴だけど心根はやわらかく、黴くさいレザーのような彼らのことを放っておけない。そういう夜だった。