『異国の出来事』読書メモ1と同じく、この文章は読書会で会話するために走り書きしたメモを元に書いています。この記事も、話すような感じで書いていくので、読みづらかったら、すいません(^^;。
0.引用について
この記事で引用する文章は、次の書籍からの抜粋です。なお、引用元のページは、引用部分の末尾に括弧付きで表示します。
ウィリアム・トレヴァー.『異国の出来事』.栩木伸明訳.国書刊行会,2016
1.「ドネイのカフェでカクテルを」
この記事で扱うのは、ウィリアム・トレヴァー著『異国の出来事』に収録されている「ドネイのカフェでカクテルを」という短編です。
トレヴァーさんの作品なので素直にハッピーな物語ではありませんけれど(笑)、この物語の結末は「ある意味」ハッピーエンドだと僕は思っているので、『異国の出来事』に収録されている作品の中で2番目くらいに好きです。
ただ、読んでいて悩むことも多い作品でした。トレヴァーさんによる「仕込み」が多くて、「これも多分、何か背後に意味があるんだろうなあ」と思いつつ、それが分からないという・・・。というわけで、消化不良な面もありました。
2.あらすじ
物語の中心人物は、ある男とミセス・ファラデーという女性です。
滞在しているホテルで、男はミセス・ファラデーから声をかけられ、彼女とホテルのバーで飲みますが、彼女と話しながら、男は「この人とは会いたくなかったな」などと思っています。
翌日の昼ごろ、男が「ドネイのカフェ」に行くと、ミセス・ファラデーもそこにいて、再び2人は会話します。彼女の言葉から彼女が情事を求めていると男は感づきますが、男はインポテンツであるため「自分は情事の相手にふさわしい男ではないと悟ってくれ」と内心で願います。
続けて、ミセス・ファラデーが「パラッツォ・リカーゾリの秘密を教えてあげましょうか」「あそこでわたし、一度だけいたずらな一週間を過ごしたことがあるのよ」と話すと、男は音を立てずにため息をつきます。
その後、男は彼女と別れて外を散歩するのですが、ホテルに戻るとミセス・ファラデーがロビーで待ち受けていて、夕食をともにしたいと言われます。内心では断りたいと思っているのに、男は結局彼女とレストランへ行きます。
この夜、男は彼女から今までよりあからさまなアプローチを受けます。彼女は「あなたのことをもっと話して。お願い」と言い、レストランから外に出ると、男の腕に自分の腕をからめたり、「いつかマイアーノへ一緒に行って下さる?」と誘ったりします。
一方、男の方は「わたしはあなたのお役に立てそうにない」と婉曲な断りを入れながらも、彼女に手をつかまれて気恥ずかしく感じます。
彼女はもう一度だけ会ってほしいと男に言い、翌日の6時にドネイのカフェで会う約束を2人はします。
この夜、男は、彼女にキスされた頬に付いた口紅を鏡で仔細に眺めるも、拭き取らずに寝ます。そして、夜中に目を覚ました時も口紅がまだ頬についているだろうかと考えます。
翌日、男はドネイのカフェで彼女を待ちますが、彼女は現れず、そのまま行方不明となってしまいます(恐らく彼女は死んでいます)。
男は、ホテルのフロントに話を聞いたり、ミセス・ファラデーが話していたパラッツォ・リカーゾリへ行ったり、アメリカ領事館へ話をしに行ったりと、彼女の行方を探しますが彼女は見つかりません。
物語の最後、6時にドネイのカフェに行くことが男にとって一種の儀式になっている様子が描かれます。そのカフェで男は、彼女が好きだと言った音楽を聴き、本物の恋人のように彼女に哀悼の意を捧げます。
3.これはこれでハッピーエンド
僕はいつも物語にハッピーエンドを望んでいます。だから、ハッピーな読み方を探そうとする傾向があります。
この物語において、ミセス・ファラデーは男に好意を持っています。男の方も、最初は彼女を好ましく思っていなかったけれど、途中から彼女を意識しています。しかし、彼女は行方不明となり、2人は再会することなく物語は終わってしまいます。
この状況を見るとハッピーには見えません。しかし、彼女が行方不明にならず、2人の関係が継続していたら、恐らく2人は(それまでの人生で味わってきたように)アンハッピーな状況に陥っていたと思います。
仮に関係が継続していた場合、ミセス・ファラデーは男がインポテンツであるという現実に直面していたでしょう。プラトニックな関係も世の中にはありますけれど、「いたずらな一週間」を過ごすようなミセス・ファラデーが肉体関係を求めないとは考えにくいです。とすれば、男がインポテンツだと知ったミセス・ファラデーは失望するだろうと思います。
ここで男に関する記述を見てみます。
男は眠り、友人と一緒にパドゥアに滞在している夢を見た。(中略) あの頃親しかったジェレミーだ。「インポテンツがそれほど恥辱にまみれているなんてどうして言える? なぜそんなことが言えるんだ?」それからロージーが夢に出てきた。ジェレミーが大笑いしながら、だまされたとわかっていてあれほど可笑しかったことはないぜ、とからかった。「あたしもだまされちゃった、とんでもない話よ」とロージーがすさまじい勢いでまくしたてた。(P.278)
この部分を読むと、男がインポテンツを恥ずかしく思っていること、それがバレたら相手から侮蔑されるのではないかと恐れていることが窺えます。
男がアメリカ領事と話している場面には、次のナレーションがあります(ナレーション中の「彼女」はミセス・ファラデーを指します)。
男は何も語らなかった――引き裂かれた無惨な恋も、後悔と恥辱も(P.296)
男が打ち明け話をしたとしたら、彼女の退屈は、お気に入りの服を脱ぐようにあっさり肩から落ちただろうか? それとも彼女も、「だまされちゃった、とんでもない話よ」と怒り出しただろうか?(P.296)
このナレーションや先に引用した夢の内容を考慮すると、インポテンツであるとミセス・ファラデーが知り、仮に彼女が失望したとしたら、男はきっと「後悔と恥辱」を感じることになっていただろうと思います。
というわけで、ミセス・ファラデーと男の関係が継続していたとしても、良い結果にはならなかったと思うのです。
しかし、ミセス・ファラデーが行方不明になったことで、2人の関係は壊れずに済んでいます。
まず、ミセス・ファラデーに関して言うと、
共和国広場のカフェの屋外席に腰掛けて、彼は心に思い描いた――あの最後の夜、ベッドに腰掛けた彼女が暗闇の中でタバコをふかしながら考えていただろう、あれこれのことを。彼女は恋の最高に幸せな瞬間を味わっていたはずだ。何ひとつまだ壊れておらず、期待は豊穣そのものだったのだから。彼女は、マイアーノ農園をふたりでそぞろ歩く場面を想像し、その小遠足への誘いをどうやってもう一度切り出せばよいか思案していたに違いない。今度こそ、男が喜んで一緒に行く、と言うのを期待しながら。あるいはまた、パラッツォ・リカーゾリの貸部屋にふたりでいる場面を想像していたに違いない。今度こそ、以前とは全然違う滞在になるのを期待しながら。(P.298)
男のこの想像のとおり、彼女は幸せな気持ちで人生最後の夜を過ごしたと思います(味気ない理由ですが、ミセス・ファラデーが人生最後の夜をどんな風に過ごしたかを描いている記述が他に無いからです)。
次に、男の方はと言うと、彼の秘密がミセス・ファラデーにバレることはもうありません。そして、次のラストシーンに描かれているように、彼はカフェに通い、心の中でミセス・ファラデーを本物の恋人のように扱っています。
彼は六時にドネイのカフェへ行った。彼女をはじめて待ったあの日の夕刻以来、それが一種の儀式になってしまっていた。(中略) 彼女が突然現れるはずはないので、いつまでそこにいても心を騒がす心配はないとわかっていた。男は、彼女が好きだと言った音楽に耳を傾けた。そして本物の恋人のように、彼女に哀悼の意を捧げた。(P.298)
こうしてみると、これはこれで2人にとってハッピーエンドだと僕は思うんです。
4.作品名が素敵♪
この作品のタイトルは「Cocktails at Doney's」です。普通に読めば「Doney」は固有名詞で、「Doney's」は「Doneyさんのお店」という意味になります。
一方、この単語を一般名詞として見ると、doneyには「girlfriend, sweetheart(恋人)」という意味があります。つまり、物語の最後で男がいるカフェは「恋人のカフェ」なんですよね。
確かに、ミセス・ファラデーは居なくなってしまったので2人はお付き合いしていません。しかし、物語のラストで、男にとって彼女は本物の恋人に等しい存在になっています。
このことを、この作品のタイトルは表しているのだと思います。そう考えると、素敵なタイトルだと思いませんか??? 僕は好きです♪
ちなみに、doneyという単語は大きな英和辞典でも載っていません。「Merriam-Webster」というオンライン辞書を調べてみてくださいませー。
5.様々な示唆
作品を読んでいると、いろいろな示唆が使われているなあとトレヴァーさんの努力の跡を感じます。
1つの例として、ミセス・ファラデーの死を示唆するものを見てみましょう
そういえば彼女は、受胎告知の絵が好きなので、サント・スピリト教会でもそれがお目当てなのだと話していた。(P.283)
行方不明になっていたガブリエラという名前の女子生徒が、フィレンツェ市内の公園で死体となって発見された。(P.279)
ミセス・ファラデーは男に受胎告知の絵が好きだと話しています。ルカの福音書(1 : 26-38)によると、マリアに受胎を告げるのは天使ガブリエルです。そして、死亡した女子生徒の名前はガブリエラです。
また、ミセス・ファラデーが約束した日に現れなかった場面において、次の記述があります。
誰か他の歌手が「虹の彼方に」を歌っているテープが流れていた。(P.287)
ここまでに挙げた3つの引用を見ると、十中八九、ミセス・ファラデーは亡くなっていますよね。受胎告知をした天使の名前を持つ女子生徒は亡くなっていて、ドネイのカフェでは「Over the Rainbow」が流れていますから。
別の示唆について言うと、ミセス・ファラデーに関する描写の中に「黒いドレス」や「茶色い瞳」等が登場します。彼女のキャラクターを暗に表現するものとして、これらの色が使われているような気もします(ただ、ちゃんと検討していないので「気がする」程度ですが ^^;)。
ちなみに、黒や茶のシンボル的な意味に関しては、以下のサイトをご覧くださいませ。(リンク先は「Black」の項目です)
https://websites.umich.edu/~umfandsf/symbolismproject/symbolism.html/B/black.html
6.ほかに気になること
僕の中で未消化なためこの記事には書いていませんが、気になる事項が他にも結構あるんですよね。その一部を挙げておきます。
ミセス・ファラデーの夫婦関係における「退屈」
男とアメリカ領事との会話に登場する「俗悪な(vulgar)」
「栄光はすべて過去に属していた」とされるホテルに滞在していること
ミセス・ファラデーの描写に数多く登場するタバコ
こういったところも掘り下げていくと面白そうな気がします。