読書会に向けてウィリアム・トレヴァー著『異国の出来事』を読みましたが、読書会が中止となったので、自分の備忘録も兼ねて、感想をこのブログに残しておくことにしました。といっても、読書会で会話するために用意した簡単なメモを元にしているので、文章としてまとまったものになるかどうかは分かりません。
話すような感じで書いていくので、読みづらかったら、すいません(^^;。
0.引用について
この記事で引用する文章は、次の書籍からの抜粋です。なお、引用元のページは、引用部分の末尾に括弧付きで表示します。
ウィリアム・トレヴァー.『異国の出来事』.栩木伸明訳.国書刊行会,2016
1.これまでに読んだトレヴァー作品の印象
今までに読んだトレヴァー作品(『恋と夏』、『聖母の贈り物』、『異国の出来事』など)の印象を言うと、「素直な」ハッピーストーリーがほぼ無いんですよね。無いんですよ・・・。
たとえば、夫婦関係は円満ではないし、親子の思いはすれ違う。恋人同士は不倫関係。女性はもう妊娠できない。登場人物の多くが傷ついていたり寂しさを抱えていたりする。
そんな状況なので、読みながら「トレヴァーさん・・・、たまには普通にハッピーな物語も書いてください」と思いました(T_T)。
2.「サン・ピエトロの煙の木」
この記事には「サン・ピエトロの煙の木」という作品を読んで感じたことを書いてみます。『異国の出来事』に収録されている短編の中でも、比較的マイルドなストーリーで、一応丸く収まっている点が好きです。
3.あらすじ
語り手は、子どものうちに死ぬと医者から宣告された男の子。この子の養生を目的に、母と子は毎夏(7月と8月)をサン・ピエトロにある海辺のホテルで過ごします。
2人がそのホテルを利用するようになって3度目の夏以降、ムッシュー・パイエという男性もそのホテルを利用するようになり、そこから母とパイエ氏の交際が始まります。
この背景には、母と父(語り手の両親)の愛は既に冷えこんでおり、パイエ氏の妻は精神を病み、施設に入っているという状況があります。
結局この子は早死にせず、物語の終盤では17歳以上になっています。本来ならもうサン・ピエトロに行く必要は無いのですが、母がパイエ氏と会うために、母と息子のサン・ピエトロ通いは続いています。
4.え?そういう展開?(僕の勘違い)
物語の最初の方で、語り手である男の子は、丈夫でないと医者から宣告されます。この部分に次の記述があります。
「どうやら期待通りにはいかない」と父がつぶやいた。「まあそういうことだ」そのときはまだ、父の声音に失望を感じ取れなかった。(P.42)
初読時にこの記述を読んだ時は、やがて父親はこの子に失望し、この子も失意へと落ちていく悲しい展開になるのかな?と思っていました。
しかし、読み進めていくと、物語の中心はこの子ではなく、寂しい大人たち(母、パイエ氏)でした。読みながら「そういう展開ですかぁぁぁ」と、自分の勘違い予想に苦笑いしていました笑。
5.無垢の人から理性の人へ
語り手の男の子は無邪気で、母とパイエ氏の親交が深まる様子に対して、
ぼくは母が、サン・ピエトロでよい友だちに恵まれたのを心から喜んだ。(P.59)
母と彼(筆者注:パイエ氏のこと)がおしゃべりしているのを見ながら、僕は、母がビネッリ母娘やその他のお客さんよりも友達らしいひとと出会えて本当によかったと思った。(P.62)
と思っています。
しかし、父にはパイエ氏のことを黙っておきましょうと母から持ちかけられた時に「わかった、そうする」(P.63)と答えたところで、
「その瞬間、ぼくの子ども時代が終わった。」(P.63)
と回想しています。
つまり、状況を把握せずに無邪気な喜びに浸っていた子どもから、周囲の状況を窺い理性的に行動する大人へと変化しています。
こういう日(無垢の人から理性の人への変化)は誰にでも来るものですけれど、読者としてはちょっと寂しい。無邪気なままでいてほしいなあ、なんて思ってしまいます。
6.母に付き添う青年
でも、物語の終盤を読むと、この子がやさしい青年に成長していることにほっこりとさせられます。
ぼくが十六、七歳になっても、サン・ピエトロ行きはまだ続いた。病弱な息子に日光浴をさせるためにヨーロッパを縦断しなければならない、という義務感からはじまった毎年の習慣が、今では母の人生の息抜きへと変化していた。夏期に養生する必要がなくなってからもずっと、ぼくたちの旅は繰り返された。ただし母とぼくの役割は逆転して、ぼくの方が同情を感じて付き添って行くようになった。(P.64)
母と父の関係について触れておくと、「ぼくの子ども時代、父と母の愛はすでに消え去っていた」(P.63)、「リンヴィクでは父が母以外の女たちと交際を続けた。」(P.64)とあります。
こうした状況なので、母にとってサン・ピエトロ行きは文字通り「人生の息抜き」になっていたと思いますし、その息抜きに付き合ってあげている息子のやさしさが素敵ですね。この辺りは好きなくだりです。
7.作品名が象徴するもの
作品のタイトルが「サン・ピエトロの煙の木」になっている点も好きです。
パイエ氏はなぜかサン・ピエトロの煙の木が夕方に香りを漂わせると勘違いしています。
母は声を上げて笑い、ムッシュー・パイエも大笑いした。いつからそうなったのか、ぼくにははっきり言えなかったものの、煙の木は夕方芳香を放つという彼の勘違いが、母とムッシュー・パイエの間だけで通じるジョークになったようだった。(P.57)
この記述から分かるとおり、作品のタイトルは母とパイエ氏の関係を象徴するものになっています。このことが分かった時も、僕はほっこりしました。「素敵なタイトルじゃないですか(T_T)」と。
8.ただ不幸でもなく、ただ幸せでもなく
既にお分かりのとおり、この物語はいわゆる「普通の」ハッピーストーリーではないんですよね。
全体を見れば、母と父は上手く行っておらず、パイエ氏も妻に問題を抱えています。そして、母とパイエ氏の関係は実質的に不倫関係です。この外形を見ると(世間的には)不健全な状況です。
でも、お互いに問題と寂しさを抱えるパイエ氏と母が夏期の逢瀬を楽しみ、それに息子が寄り添っているという点においてはハッピーな物語です。
このアンビバレントな所も、この作品の魅力の1つだと思います。