『異国の出来事』読書メモ1及び2と同じく、今回も話すような感じで書いていきます。読みにくかったらすいません(^^;
0.引用について
この記事で引用する文章は、次の書籍からの抜粋です。なお、引用元のページは、引用部分の末尾に括弧付きで表示します。
ウィリアム・トレヴァー.『異国の出来事』.栩木伸明訳.国書刊行会,2016
この書籍以外からの引用については、当該引用部分の直後に引用元を個別に表示します。
1.「ザッテレ河岸で」
この記事で扱うのは、ウィリアム・トレヴァー著『異国の出来事』に収録されている「ザッテレ河岸で」という短編です。
『異国の出来事』読書メモ1及び2でも書いたように、僕は基本的にハッピーエンドを望んでいます。だから、僕の読書スタイルは「希望を探しながら読む!」です。
この作品に描かれる主要人物(父と娘)の現状は痛々しいですが、何回か読んだら、現状を脱却して良い方向へ変わっていくと感じました(そう解釈しました)。それで、『異国の出来事』の中で3番目くらいに気に入っています。
さて、小説を読む時って、主要人物の気持ちや人間関係に着眼しながら読むことが多いですけれど、この物語に関しては、ちらほらと登場するクリスマスのイメージが最初に気になりました。
そのため1~2周目は、主要人物である父娘よりも、「この服の色は!?」とか「この文字は!?」とか「このオブジェは!?」とか、そんな所にばかり目を向けていました、笑。
3周目以降は「なぜ娘の名前はベリティ(Verity)なんだろう?」と考えながら読みました。ちなみに、verityという単語を別の単語に置き換えるとtruth(真理、真実)です。
この疑問はまだ完全に解決してはいないのですが、ひとまず現段階で僕が思ったことを書いてみようと思います。(今後解釈が変わったら、後日この記事の内容もガラリと変わるかもしれません、笑)
2.あらすじ
省略(読書メモ1と2には書きましたが、実はあらすじを書くのが苦手です。気が向いたら書きます ^^;)
3.クリスマスを連想させるもの
初めて読んだ時、クリスマス(やキリスト)を連想させるものがあちこちに配置されていることが気になりました。もちろんトレヴァーさんが意図的に仕込んでいるわけですけれど。
その一部を挙げてみます。
緑と赤が渦を巻くペイズリー柄のスカーフ(P.214)
いつもおしゃれなそのフロント係が今朝はまっ赤な装いで身を固めている。(P.217)
今日は全身緑色で固めたおしゃれなフロント係が(P.239)
彼はまた、イタリア船なのに<エクスプレス>になぜXが入っているのだろうと不思議に思った。(P.227)
緑と赤はクリスマスの装飾を連想させますよね。ChristmasはXmasとも表記しますから、そう考えるとイタリア船のXもクリスマスを連想させます。
味が嫌いなのでふだんは口にしないブランデーを向こうのバーで飲んで(P.228)
彼は今、ふたりの娘たちにケーキを食べるよう無理強いしているが(P.233)
ベリティは味が嫌いなのにブランデーを飲み、アンウィル氏はドイツ人女性2人に無理にケーキを食べさせようとしています。どことなく不自然なので(特に、ケーキを無理に食べさせるシーンは無くても良いですよね)、ブランデーからはクリスマスプディングを、ケーキからはクリスマスケーキを連想させるために描かれているんだろうなと感じました。
日本人からすると「どうしてブランデーとプディングが繋がるの?」と思うかもしれないので補足しておくと、クリスマスプディングにブランデーをかけて火を付けるんです。
こうしたことを考えていると、その他のちょっとしたオブジェも「これもクリスマスに関係したものかしら?」という風に見えてきます。たとえば、
丸窓に緑のガラスが入っている。(P.217)
この緑の丸窓はクリスマスリースをイメージしたものかなあ、なんて。
口ひげを生やしたペンシオーネのウェイターが (中略) テーブルクロスについたパンくずをとっている。(P.217)
普通に考えて、パンくずを取る以外にもウェイターさんの仕事はありますよね。他の作業をしているシーンを描くこともできるわけです。そう考えると、ここはマタイの福音書に登場するエピソード(5つのパンと2匹の魚)を読者に連想させようとしているのかなと思います。
4.最初の感想(初読時)
初読時は「なんか、痛いし、悲しい話だなあ。」と思いました。
娘のベリティは、父であるアンウィル氏が妻に対する愛情を欠いていると思い込んでいて、苛立ちを感じています。でも、僕ら読者から見ると、アンウィル氏がそれなりに妻を愛していた形跡があるので、アンウィル氏がかわいそうだなと思いました。
ただ、アンウィル氏には、若い女性に声をかけたがる所など、浮ついた面があるので、少し自業自得な部分もありますが・・・^^;。
ついでに書くと、ベリティの怒りは半分八つ当たりのような気がしました。というのも、ベリティは、母に対する愛情が不足している点で父に苛立ちを覚えているつもりなのでしょうけれど・・・、実際には自分の不倫相手の愛情の無さを、父に投影(投射)しているようにも見えるんですよね。
「父さんがひとりぼっちになっちゃった」って彼に言ったの。「それでフラットを引き払ったの」って。そのことばを口に出したとたんに怖くなった。「一緒にいなくちゃだめだ」と彼が言ってくれると信じてたから。びっくりしてうろたえるに違いないと思ったから。だって長いこと繰り返した、ふたりだけの愛の習慣をご破算にしましょうって持ちかけたことになるんだもの。ところが彼はただひとこと、わかったって言ったのよ」(P.235)
このように、ベリティの期待に反して彼の反応はそっけないものでした。この時不倫相手に感じた愛情の無さを父に投影して苛立ちをぶつけているんじゃないかなあと、そんな気がしたんです。
それと、自分自身への怒りもアンウィル氏にぶつけているような気もします。
また、アンウィル氏の心を傷つける言葉を、ベリティがためらいもせずに発言する以下のシーンも読んでいて痛々しい気持ちになりました。
「ヴェネツィアで過ごしたのは汚いだけの週末じゃない。決してそれだけじゃなかった」
「ベリティ、頼むよ。頼むから・・・・・・」
「彼は奥さんを傷つけることができないの。どうあがいても女性にひどいことをするなんてできないひとなの。誓って言うけど、彼は非凡な男性なのよ」(P.237)
トレヴァーさんも地の文で書いていますけれど、こんな言葉を娘から言われたらアンウィル氏は傷つきますよね・・・。
アンウィル氏の心中を想像しても、不倫関係をまがい物じゃなかったと思おうとするベリティの心中を想像しても、痛々しく思いました。
初読時の感想は以上です(この感想が、2周、3周とするうちに変化するのですが、その話はまた後ほど)。
5.娘の名前はどうしてVerityなのか?
最初は、なぜ娘の名前がベリティ(Verity = truth)なのか首をひねっていました。不倫関係を16年間も続けていて、不倫相手から貰ったライターやブローチを所持している(相手への思いを捨てきれずにいる)様子は、verity(truth)とかけ離れているように見えたからです。
しかし、考えてみたら、母の死をきっかけにベリティが自分の状況に正面から向き合い、生き方を改めることにした点を、「Verity」という名前は指しているのかなと思うようになりました。
こんな風に考えたのは、次の3点からです。
「本当は自分の人生を変えたかったのだ。ついつい同じことを繰り返す癖を断ち切りたかった。」(P.213)という部分
ベリティが自分に対して怒りを覚える場面
物語終盤の次の部分
「あやまらなくちゃならんのはわたしのほうだよ」ザッテレ河岸へ出たところで父が言った。わたしはおまえをないがしろにしたかもしれないが、おまえはわたしを大事にしてくれたし、死と向き合ったときでさえ、おまえは自分を失わなかった。おまえの態度に嘘はなかったよ」(P.238 - 239)
まず1点目。「本当は自分の人生を変えたかったのだ。ついつい同じことを繰り返す癖を断ち切りたかった。」と書かれていることから、ベリティは不倫相手に未練を持ちつつも、本心では不倫関係を清算する気になっていることが分かります。
この本心は次の場面にも描かれています。
「父さんがひとりになるからといって」と娘は続けた。「同情なんかしてなかった。わたしが同情していたのは自分自身。便利に暮らせるあのフラットでいつもおんなじセックスを繰り返す生活に、一瞬たりとも耐えられなくなったのよ」(P.235)
次に2点目。ベリティが怒りを覚える場面を見てみます。
ほんの一瞬、目の前に自分自身の姿が浮かび、自分の笑い声が聞こえた。サクラソウの柄のドレスを着て、サングラスをして、笑いたくなどなかったのに声を上げて笑っていた。教会の中を歩きながら、無理に笑おうとしたあのときの骨折りがまざまざとよみがえってきたので、彼女は怒りを覚えた。(P.223)
ここで彼女が感じているのは、自分を欺いていることに対する怒りだと思います。笑いたくないのに笑った自分への(ウソ笑いをした自分への)怒りです。
そして3点目。物語終盤の次の部分です。
「あやまらなくちゃならんのはわたしのほうだよ」ザッテレ河岸へ出たところで父が言った。わたしはおまえをないがしろにしたかもしれないが、おまえはわたしを大事にしてくれたし、死と向き合ったときでさえ、おまえは自分を失わなかった。おまえの態度に嘘はなかったよ」(P.238 - 239)
この記述は、僕にとって分かりにくいものでした。特に「死と向き合ったときでさえ、おまえは自分を失わなかった。」という部分を読んで混乱しました・・・。
初読時は、母が亡くなった後でさえベリティは態度を変えなかった(不倫を継続する意思がブレなかった)という風に見えてしまったんですよね。
でも、それだと、ベリティは自分を欺いたままになってしまいます。全くverity(truth)ではありません、汗。
そこで、原文を見てみました。
‘ It's I who should be sorry,’ he said on the Zattere. He'd been more gently treated than she: you knew where you were with death, in no way was it a confidence trick.
[引用元] William Trevor, The Collected Stories,(Penguin Books, 1993), p.921
原文を見ると僕が混乱した部分は「you knew where you were with death」となっています。
この文を読んだ時、ベリティは母の死を経験したことで自分の置かれた状況を認識した(自分の状況にちゃんと向き合った)のだと分かりました。
それまでの彼女は不倫相手と一緒にいたいという気持ちに負けていて、自分の状況から目を背けていました。しかし、自分の状況に向き合った(you knew where you were)ことで、生き方を変える気持ちになったのだと思います。その結果、彼女はフラットを引き払うのです。
自分の状況から目を背けていた彼女は、自分を欺いている状態でした。一方、自分の状況にちゃんと向き合った段階で、彼女は自分を欺いてはいません。「in no way was it a confidence trick.」は、このことを指しているのだろうと思います。
なお、confidence trickを英和辞典で調べると「信用詐欺」という訳語が出てきます。「は?」と思いますよね、笑。OALD(Oxford Advanced Learner's Dictionary)を見てみましょう。「an act of cheating somebody」(人を欺く行為)と書かれています。OALDの記述の方がしっくりきますね。
というわけで、彼女が自分を欺くことをやめた状態をverity(truth)という名前は表しているのだろうと思います。自己欺瞞のない人は、その人本来の在り方をしているわけですから。
6.なぜ母の死がきっかけだと思うのか?
娘の名前がVerityである理由を今お話ししましたけれど、「どうして母の死がきっかけだと言えるの?」という疑問を感じる人もいるかもしれません。ちょっとそこに触れておきます。
ベリティは最後の最後 ― 棺が音もなく運ばれて、火葬場のチャペルのベージュのカーテンの向こうへ消える瞬間まで ― 、自分が母をどれほど好きなのか気づかなかった。(P.223 - 224)
この部分を言い換えると、母の棺を見送った時にようやく、ベリティは自分が母を深く愛していたことに気づいたのです。
その母は生前、ベリティが不倫を続けていることに怒ったり嘆いたりしていました。
「恋愛というのは病気になることがあるんだわ」とベリティの母が怒りを込めてつぶやいた。(中略) 母は、不毛な恋愛のせいで娘のせっかくの美貌が無駄使いされてしまった、とも嘆いた。(P.236 - 237)
つまり、母に対する愛情をようやく自覚した結果、母が怒ったり嘆いたりしていたことを真に受け止めたのだと思います。だから、彼女は自分の状況に向き合うことができたのでしょう。
それが以下の文に表現されているのだと思います。
you knew where you were with death
[引用元] William Trevor, The Collected Stories,(Penguin Books, 1993), p.921
7.何度か読み直した後の感想
初読時の感想は「なんか、痛いし、悲しい話だなあ。」でしたけれど、今は違います。
フラットを引き払ったのは馬鹿だったと言ったり、不倫相手から貰ったライターやブローチを今も所持していたりする点から、ベリティが不倫相手に対する未練をまだ持っていることは確かです。
しかし、母の死を契機に生き方を変える気持ちになっていること、実際にフラットを引き払ったこと等を考えると、ベリティに良い未来が訪れる可能性を期待しても良いと思います。
「僕がそういう期待をしたいから」という理由もありますけれどね。僕は物語にハッピーエンドを望んでいる読者ですから、笑。
何度か読み直した今、「今はまだつらいだろうけれど、やがて良い日々が訪れそうだな。」と思っています。これが、今の感想です。
この感想の背景には、ここまでに書いていない理由もあります。それについては、次の「8.変化を示唆するもの」をお読みください。
8.変化を示唆するもの
既にお話ししたように、ベリティに良い未来が訪れると僕が期待する主な理由は、彼女が変わろうとしていることです。ここでは、これまでに取り上げたこと以外で、彼女の変化を示唆していると思われることを3つお話しします。
1つ目は、フロント係の服の色が赤から緑へ変化していることです。物語の序盤でフロント係は「まっ赤な装い」(P.217)をしています。それが最後の場面では「全身緑色」(P.239)になっています。
僕はこの2色から植物の葉を思い浮かべました。植物の葉は、夏場は緑で、秋冬になると赤や茶になります。ワンシーズンで生命を終える植物を例にすると、この植物の一生は緑(新芽)から始まり、赤や茶(枯れ葉)で終わります。
こんな風に緑と赤をペアにして考えると、緑には「誕生」のイメージ、赤には「老い」や「死」のイメージが見えてきます。このイメージから、緑と赤は「反対(逆)」の状態を表すこともできそうです。
まとめると、「誕生」「老い・死」「反対(逆)」の3つです。
自己欺瞞をやめて生き方を変えようとしているベリティは、生まれ変わろうとしている人です。そのことがフロント係の服の色でも表現されているのではないでしょうか。簡単に書くと、「赤 → 緑」は「死 → 誕生」、すなわち「生まれ変わること」に対応します。
2つ目は、物語の最後の部分です。
娘は窓辺に腰掛けて対岸に見える灯火を見つめていたが、霧がだんだん深くなってついには何も見えなくなった。(P.239)
これを読んだ時、灯火は不倫相手に対するベリティの未練(まがい物の希望)を表しているのかもしれないと思いました。そう考えると、物語の最後で彼女は不倫相手への思いを手離すことができたのかもしれません。手離せたなら、きっと彼女は前に進めますよね。
3つ目は、物語中にちょこちょこ登場する「11」という数字とクリスマスを連想させるものです。父娘は11月にベネツィアを訪れています。物語はベリティの母が亡くなってから11ヶ月後時点です(P.219 - 220)。船の塗装作業を眺めていたアンウィル氏は11時半になったところで腰を上げています(P.227)。
ジーニアス英和大辞典で「eleven」の項目を見ると次の記述があります。
(基数の)11《◆序数はeleventh; 完全性からはみ出したものを表す》.
[the E~] キリストの十一使徒《十二使徒(the Apostles)からJudasを除く;
これらを読むと、12使徒から1名欠けていることから、完全性からはみ出したものを表すようになったのかなと想像します。
物語に当てはめると、ベリティもアンウィル氏も今はまだ不完全な状態ということを表しているのかもしれません。ベリティはまだ変化しようとしている過程にあり、アンウィル氏は妻と過ごした記憶に負けたら憂鬱に支配されそうな弱い状態(P.238)ですから。
しかし、既にお話ししたように、この物語にはクリスマスを連想させるものが色々と書き込まれています。そう、今は11月ですが、やがて12月(クリスマス)が来るのです。
もちろん比喩なので、2人に変化が訪れるのがいつになるかは分かりませんけれど、いつの日か、父娘が今の不完全な状態から脱却することをトレヴァーさんがほのめかしてくれていると、(ハッピーエンドを望む能天気な読者としては)思いたいんですよ・・・笑。
9.自分用メモ
以下は、僕がいつか思考するための落書きです。自分用のメモに過ぎないので、読む必要はありませんm(_ _)m。
「思い出っていうやつはじつに油断がならないからね。」(P.238)
「フロント係の服(赤 → 緑)」 = 「死 → 誕生」= 復活 = クリスマスイメージ?
「ベリティの怒り = 自分への怒り = 不倫関係への怒り = 母の怒り」→「ベリティ = 母(同化)」→ 「ふたりの人間の生死が逆なような(P.238)」
ライターを指でなでまわしてからふと気がついて腹を立て、恥じ入った。(P.231)
アンウィル氏の妻への思い→ ヴェネツィアは夫婦のお気に入りの場所(P.222)、情愛がくれた賜物を懐かしんでいる(P.238)、耐え難い悲しみ(P.238)、彼の毎日は地獄(P.238)、ヴェネツィアで過ごした記憶に負けたら憂鬱一直線(P.238)
現在は11月初め(P.215)で、母が亡くなって11ヶ月経過(P.220)→ 母が亡くなったのは昨年12月初め頃と推定。
母が亡くなってから6ヶ月後にベリティはフラットを引き払った(P.213)→ 今年の6月頃と推定(不倫相手とヴェネツィアを訪れたのは7月)