誰かが自分を覚えていてくれるということ

むい
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僕は教育分野について何も知らない素人だけれど、かつて4年間だけ某自治体の教育委員会事務局(以下「教委」)に出向して事務仕事をしていたことがある。

先日、所用があってその教委が入っている建物に行ったところ、たまたま遭遇した知り合いが「A先生が教育委員会の〇〇課にいますよ」と教えてくれた。僕がその教委の片隅にいた当時、A先生も教委にいらっしゃった。あれからかなりの月日が流れたので、恐らくA先生は現場(学校)で管理職になり、それからまた教委に戻って来たのだろう。

僕が出向を終えて別の職場に移り、さらに移った先の職場を辞めてから何年も経っているので「A先生は僕のことを覚えていないんじゃないかな」と知り合いに言ったら、「A先生とたまにお昼を一緒に食べることがあるんだけれど、〇〇さん(←僕のこと)の名前が会話に出たこともあるから覚えていると思う。顔を出してみたら?」という返事が返ってきた。

そんなわけでA先生がいる課に行ってみた。すると確かにA先生は僕のことを覚えていてくださって、少しばかり当時の話をした。そんな風に話しているうちに、同じフロアにある別の部署にB先生もいるとA先生が仰って、僕をB先生のところに連れて行った。

B先生のいる部署へ向かう途中、僕は内心「いやー、B先生はさすがに僕を覚えてないんじゃないかしら・・・」と思っていた。

しかし、B先生に会ってみたら「〇〇(←某観光スポット)に一緒に行ったじゃないですかー。あの日は天気が悪かったですよね(笑)」というお言葉を頂いた。その時のことは僕も覚えていて「なんか小雨で、霧も出てましたよね」と応じた。

こんなわけで、僕の予想に反してA先生もB先生も僕のことを覚えていてくださった。そうと分かったら、ふいに感謝の気持ちがこみあげて来た。同じ課にいたわけでもない(当時、A先生とB先生は隣の課にいた)のに、それに加えて、何年も経っているのに、お2人よりずっと下っ端の僕のことを覚えていてくれたなんて、本当にありがたいなあ、と。

それから2日くらい経ってから、誰かが自分のことを覚えていてくれることがどうしてこんな風に嬉しいのかなと考えた。短絡的に考えれば「自分のことを覚えていてほしい」「自分のことを知っていてほしい」という願望が自分の中にあるのだろう。

そして、その願望の根底には孤独感がある気がする。この世に自分のことを知っている人が1人もいないと想像すると寂しい。

こう考えると、誰かが自分のことを覚えていてくれることが嬉しいのは、その人が僕を独りにしないでいてくれるから、だと思った。

僕のことを知っていてくれる人たちみんな、ありがとう。

@brightsmile
ことばでつむぎ出せるもの、つむぎ出せないもの