20240515 追うの向いてない

Bの日記
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恋愛は追う側か追われる側か?生きていると何度か耳にするフレーズではあるが、私は追いたいと思いつつ結局若干追われる側になろうとする傾向がある。

というか追うのが向いていないのである。自分の外側に感情を振り回されることはあまり好きではない。いじらしい人やわがままな人は、たまになら可愛いが24時間それだと辟易する。

あと、お前を沼らせますwみたいな雰囲気の人(伝われ)やお前も私を好きになれみたいな雰囲気を出されると途端に避けたくなる。自分は相手にとって大した価値はないのに、私にとっては価値ある人間にしようとされるのは困る。それは私が自分で選びたい、ギャラリーの一人には自分からなりたい。時間をかけてだんだん互いの価値を位置付けていけばいいだけなのに、今好きになれと言われてもなれない。無駄に理性があるのでその場の空気にのまれて錯覚することもできない。

好きになった人々(性別問わず)は謙虚ながら自分を卑下せず自立した精神の人間が多かった。傲慢でもいいが、余りあるほどの魅力や私にとってのメリットがないと滅多に惹かれることはなく、大抵ついていけずに自然消滅した。

版権やVtuberをいろいろ追って二次創作をしていた時期もあったが、マイペースに続けられるような界隈じゃないと、少しリアルが忙しくなって浮上できなくなるだけで突然ついていけなくなる感覚があった。特に供給が多いとかリアルタイムだったりすると、1日単位で同じ界隈の人と話がズレたりして、毎日追わなければという焦燥感に駆られた。当時はかなり筆が遅かったので数日で過去になり、次々と降ってくる新情報に古い情熱は長続きしないまま消えていった。結果、いつでも描ける感じの絵が限界になった。

また、解釈の余地が少ないような情報量の多い界隈では少し情報を取りこぼすと解釈違いを招きやすくなったりする気がして自分が許せなかった。全体を見通せないと足が進まない。解像度が低いうちは、見た目と佇まいだけを描いた「なんかいい感じの絵」止まりでしか描けず先に進まなかった(そういう絵を描く人を攻撃しているわけでは断じてない)。もう一段階解釈を深めていくことが自分にとっての楽しみではあったが、網羅しなければならない(と私が勝手に思っている)情報が多いとなかなか手がつけられなかった。余計な完璧主義だ。

自分のキャパシティは小さく、そのせいで推しのことを知り尽くせないことに対する無力感を抱き、しかも「そもそも趣味なんだから軽くでいいし気にするのなんて一部の過激な人だけである」と気にせずにいることができなかった。

推しは本気で描きたいし、絵を本気で描いているんだから当たり前だと思う(別にエンジョイしてる人が本気じゃないとか非難してるわけではない、たんに自分にとっての本気は真剣に向き合うことであるというだけ)。

自分の実力に満足していないのでこんな絵を本気などというのは少し恥ずかしいと思っている自分もいるが、そのときの自分が全力で描いたならそれでいいと思ったりもする。

話は逸れたが私は追うのが向いていない。恋愛どころか趣味の範囲ですら、リアルタイムの荒波によって滞りが発生すると途端に諦めたくなってしまう。不器用なのかも。

もう少し器用にマルチタスクができたらいいなとは思うが、いかんせん体力がない。体力をつけた方がいい。

@bsoon
特技は文字をかさましすることです