日記が続いた試しがない。自分でも思いの外、私は飽き性で、責任感が発生しない分野においてはかなり適当な自覚がある。
Twitterとblue skyにだらだらと文章を打ち込むのは好きだ。アウトプット半分、文字を表面化する行為自体の楽しみが半分。しかしどうしても見る側のことが頭によぎり、長い文章がそれだけで発する謎の圧を懸念してしまう。
人が発している分にはいいが、私は極力誰の心理的負担にもなりたくない。私がなりたいのは拡声器を持って立つ指導者ではなく、邪魔にならない大きさで隅っこの方に生えたいい感じに日陰になる木。
こんな冗長極まる文章で伝えたかったことは「Twitterとブルスカじゃ文字数足りないし不穏だから日記ここで書くことにしたわ」ということだけ。文字数をかさばらせるのが得意なのかもしれない。楽しくなってリズムに乗っていた。
noteに書こうかと思ったが、noteには心理機能みたいな表向きの話をたまに載せるだけでいいと思った。そもそもプラットフォームが若干肌に合わない。
読みたい方は読んでください。読んでくださる方、ありがとうございます。
本題
自分の意見を言うのが苦手だ。特に、目の前の相手と違う意見はなかなか喉から上がってこない。だからこそ率直に意見を交換できる相手はとても貴重だと思う。
信頼関係が必要。とにかく敵ではありませんという前提が染みついていなければならない。
フォロワーと類型に関する価値観で意見交換をした。近いようで、なかなか違いがある。わりと長い間そのフォロワーと話してきたつもりでも内心は緊張する、今までの人生を他人への同調に使いすぎた感がある。
私の自我が固まってきた高校生以降、私の周囲にいた友人たちは、風に吹かれたらそのまま消えそうな人が多かった。彼らにとって家族や身内は味方ではなかった。私や友人たちはその人の支えになろうと、できる限り味方にならざるを得なかった。でなければ次の日にはこの世にいる保障がなかったのだから、気に障る話はしたくなかったし、少し考えを捻じ曲げてでも同調した。かなり愚かだった。
私はその人たちの命に絶対に責任を負いたくない、という責任感があったとすら思う。
それに私は多めの家族の末っ子ということもあり、基本的に家族の意見に反対できる立場ではなかったように自分では感じていた。家族の誰も否定しなかったのに勝手にそう思っていたあたりがタイプ9の幼少期とかぶっている。家族に意見を否定されることは私自身を否定されることに近かった。認知の歪みです。
そんなことを繰り返していたら、違いを伝えることが怖くなった。仕事に就いてから職場の人と話す機会は少なかったし、結局特に前進はしなかった。
類型界隈に来てから、やっと違いを話す必要性を感じた。誰にでも「イエス」という人間はむしろ気味が悪いとすら思った、かつての自分のことである。今でも癖は抜けていないけども。
個人的に思う類型界隈のいいところはタイプの違いだけでなくタイプ内での違いも検証できるところ、そして類型にかこつけて各々が全く違う意見を述べることが許容されている、という点にある。前の界隈では、意見の相違が多少なりともバチりを生むし、フォロワーが多いとか発言力がある人と違う意見を述べるということはその人を慕う人々から「攻撃」とみなされる可能性すらあった。
今でもインターネット上では、「こうなんじゃないか」とただ意見をコメントしただけで「そこまで言わなくてもいい」などという返信が第三者から寄せられる始末だ。
それに比べると類型界隈のオープンさは私にとってとても助かっている。自我ツイートなんてしようものなら病んでいると勘違いされていた頃に比べると発言もしやすい。
類型界隈は時折謎の大荒れを見せるがどんな界隈も波がくるものだ。ただ震源地が公式のような存在ではなく、たいていラインを見分けられないようなリテラシーの人間による発言で、しかもめちゃくちゃ入れ替わるというのはタチが悪い。あまり教訓が共有されないし。
そういう、事実としてちょっとよくない点も含めて、界隈とここにいる人々には感謝している。自分の意見を言うことは自他を守るにも必要なこと、どう伝えれば角が立たないのか、Tの人々が語気が強くても別に責めたつもりがない場合があるとか、なんかそういう学びを得た。
しかも創作ができる。これが超ありがたい。もう1年3カ月も類型創作の話をしている。絵もうまくなった。
やっと違いを表明することにも慣れてきた。自分の中にあった重りの一つを降ろしたような気持ちだ。重りは全部自分が勝手につけたものなので、いずれ向き合い勝手に軽くなっていくだろうと気長に構えている。
初回だからこんなに長く書いたというだけで、次からこんなに長く書くつもりもないし、毎日投稿するつもりもそんなにない。
長い文章を書くのは私にとってストレス発散になるので、地味にやっていきたいと思っている。