ボードレールは〈絶えず酔いたまえ!〉(「パリの憂鬱」)という。これはまったくもって正しい。苦しみの原因、それは酔えないことだ。僕は酔うことができない。盲目も信仰もない。僕の精神は常に浮遊し、世界に溶け込むことができない。明晰だ。僕は醒めている。酔えない。眠れない。鋭敏な精神が、常に何かを深く感受する。そして僕は、世界のあらゆる物事に辟易し、疲弊する……。絶えず酔うことができれば、僕が苦しむことはなくなるだろうに。
「カイエ」の記録。
『いままでずっと、私は自分の崇拝するものを好んで踏みにじってきた。自分の偶像への反逆、これによってのみ、私たちは自分を定義できる』
『自殺は私たちに遂行できるもっとも正常な行為である。あらゆる省察の行き着くべきところは自殺であり、人の生涯はすべて自殺によって決着をつけらるべきであろうし、意志によらざる下品な死は、どんな場合にも自殺によって取って代わらるべきだろう。要するに、各人は自分の最後の時を選ぶべし』
ユイスマンスの「さかしま」を読みながら、僕は海のことを思い浮かべていた。部屋に閉じこもり書物を読む日々の破壊として、僕は海を思い浮かべていたのだ。どこか遠くへ。静かな、知らない場所へ。海が見たい。波が見たい。波の音楽を聴きたい。どこまでも続く青、その果ての水平線を見たい。何も考えず、海の青と音楽に心を委ねたい。〈自由な人間よ、いつもきみは海をいとおしむだろう!〉(「悪の華」)。〈時には母のない子のように/だまって海を見つめていたい〉(「寺山修司少女詩集」)。
澁澤龍彦「胡桃の中の世界」を読み終える。「夢の宇宙誌」から一貫しているのは、澁澤の小宇宙への憧憬だ……。森羅万象、無癌の宇宙を内部に閉じ込めている小さなガラスの玉……小宇宙。その後のすべての姿を内に秘めている種子、卵、そして、世界の景色を凝縮した庭園。僕はなぜこの小宇宙に惹かれるのだろう? 思えば、僕が物理学に惹かれたきっかけは万有引力の式だった。その、紙面に浮かぶ、小さな、たった一行の数式に、惑星の軌道や公転周期といった、果てしない宇宙の情報が詰まっていて、僕はそこに、小宇宙を見出したのだ。
「ユートピアとしての時計」:サドの機械的小説世界〈サドの世界では、裸体の女が発条になり歯車になり、あらゆる種類の機械の部品になった〉(p.226)。ロラン・バルト「サド・フーリエ・ロヨラ」。サドの悪による永久運動的ユートピア。